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熊谷充晃「歴史の大誤解」

東海道線が誕生したのは、政府の資金難が原因だった!幻の「中山道本線」計画とは?

文=熊谷充晃/歴史探究家
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東海道線が誕生したのは、政府の資金難が原因だった!幻の「中山道本線」計画とは?の画像1開業当時の新橋駅(「Wikipedia」より/Ikkei)
 日本初の鉄道が開通した営業路線は、1872年9月の「新橋~横浜(現在の桜木町、以下同)」として知られている(厳密には、その前に「品川~横浜」で仮営業がスタートしている)。同時期に「神戸~大阪~京都」も鉄道敷設が進められていて、当時の政府は、最終的に東西を結ぶ大動脈となる鉄道路線の建設を考えていた。

 そして、早くから候補に挙がっていたのは、群馬県から長野県に入り、さらに京都府から大阪府に進んでいくルートだった。江戸時代に五街道のひとつとして知られた中山道を利用するものだ。これには、ある要因が大きく影響している。

 後に国内最大の私鉄会社に成長する日本鉄道が最初のルートとして開業したのは、83年の「上野~熊谷」で、翌年には早くも前橋まで延伸されている。

 さらに、85年には「品川~赤羽」を結ぶ路線が開通している。これは、現在のJR埼京線の起源といわれるものだ。この動きには国策が大いに反映されていて、政府の絶大なバックアップを受けている同社は、やがて「東西を結ぶ幹線」の一部を成すと目されるルートを敷設していたのだ。

 また、開国間もない当時の日本経済を支えていた主要輸出品目に「生糸(絹織物の原料)」がある。当時の輸出手段は船便しかなく、生糸は横浜港まで運ばなければならない。当時、最速かつ大量輸送が可能な交通手段は、産声を上げて間もない鉄道だけだった。

 全国有数の生糸の生産地は、現在の群馬県だ。2014年に世界文化遺産に登録された富岡製糸場は、その一大拠点だった。現在のJR高崎線は、東西を結ぶだけではなく、国力増強のためにも必要とされた路線だったのだ。そして、輸送力をアップするため、前述の「品川~赤羽」路線が早くに建設されている。

 こうして見ると、「国家事業として特定地域の路線が必要なら、私鉄ではなく国鉄として敷設すればいいではないか」と考えてしまうが、当時の政府は近代化に向けた課題が山積しており、慢性的な財源不足に悩んでいた。

 そこで、政府の意向を民間の資金力で実現させるため、国策会社ともいえる企業を続々と誕生させていたのだ。そのひとつが、日本鉄道である。この会社は、やがて赤字覚悟で「上野~青森」の全通を果たすが、それも国策にかなうからというのが理由であった。

難工事で中山道のルートを断念

 話を元に戻そう。

 京浜と京阪神、それぞれにベースとなる営業路線が開通した。あとは、これらを早期に結びたい。しかし、政府は資金難に苦しんでいるため、建設費はできる限り安く抑えたいという事情がある。

 そのため、生糸輸出用に開通している路線を延伸する策が考えられた。軽井沢から長野県に入り、岐阜県を通って滋賀県の琵琶湖近くまで、というものだ。西側では京都府から滋賀県に延伸する計画もあったため、然るべき場所で両者をつなげればいい。

 また、将来的に軽井沢から日本海側につなげば、太平洋側と日本海側が結ばれることになる。何より、この中山道ルートは東海道ルートに比べて距離が短いため、建設費が安く済む。

 しかし、調査の結果、当時の技術では群馬県と長野県の境にある急勾配の碓氷峠を越えるレール敷設が不可能とわかった。この路線が、急勾配を克服するための鉄道方式「アプト式」を用いて開通するのは、後の話だ。さらに、ルート上に必要なトンネル掘削も難しいことが判明、難工事の連続で大幅に予算がかさむことが明らかになった。

 逆に、東海道ルートは距離こそ長くなるものの、当時の技術でも比較的容易にレールを敷けることがわかった。平坦な土地が多いため、それらを丁寧に結ぶようにレールを敷いていけばいいわけだ。

 何より魅力的なのは、難工事だらけの中山道ルートより、建設費が安いことだった。

 こうして、89年に東海道線の「新橋~神戸」が開通した。ちなみに、現在のJR東海道本線も起終点は「東京~神戸」だが、当時の計画を示すいい証拠だ。これらの歴史が示すように、東海道が大動脈として存在感を高めていくのは、比較的最近のことなのだ。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)

熊谷充晃/歴史探究家

熊谷充晃/歴史探究家

1970 年神奈川県生まれ。フリーライター。歴史探究家。近著は『教科書には載っていない! 戦争の発明』(彩図社)、『幕末明治動乱「文」の時代の女たち』(双葉社)、『テレビではいまだに言えない昭和・明治の「真実」』(遊タイム出版)、『世界文化遺産富岡製糸場と明治のニッポン』(WAVE出版)。週刊誌専属記者などを経て2005 年から著述家に。歴史全般のほか社会時事、スポーツ、芸能、ペットなど、ジャンルにより複数のペンネームを使い分けて活動し、自著は現在30 冊近く。また、企業の公式サイトやフリーペーパーなど多岐にわたるメディアで執筆している。

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