7月6日、百舌鳥・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に決定された。だが地元のお祭り騒ぎのなか、考古学、歴史学の学者たちが大きな懸念を表明した。
7月23日、大阪府庁で緊急会見を開いたのは「日本考古学協会」「日本歴史学協会」など考古学や歴史学の14学会協会の代表ら7人。陵墓の公開と保護、刊行物や教育文化施設などでの学術的な名称の併記を求めた。
世界遺産の中核的構成物である巨大な陵墓は、宮内庁管理で非公開だ。平成23年に応神天皇陵で初めて内堀に学術研究者だけを入れ、昨年11月には堺市と宮内庁が大山古墳(伝仁徳天皇陵)を調査したが、裾だけで墳丘への立ち入りはない。
さて、大阪府堺市は観光客のために気球やヘリコプターを飛ばす計画もしているが、堀にボートを浮かべることもできない。代表らは「もっと身近に感じられるようにしてほしい」と訴える。さらに「陵墓の多くでは宮内庁管理地と外側の民有地などに分かれ、全域を統一的に保存するシステムは構築されていない」とし、民有地は宅地化が進んでいることを憂える。
一方、文化庁は宮内庁管理の正倉院は文化財指定しているが、陵墓の文化財指定をしていない。指定すると「公開」が盛られる文化財保護法に制約され、「静寂」を理由に公開したくない宮内庁には不都合なのだ。
世界遺産での名称は「仁徳天皇陵古墳」
堺市にある大山古墳の立て札には「仁徳天皇陵」とか「百舌鳥耳原中陵」の説明書きがある。宮内庁の名称だ。堺市は「仁徳天皇陵古墳」と呼んで憚らない。仁徳天皇は5世紀の人物とされるが、存在も不確か。巨大陵墓の造営時期からすぐ近くのミサンザイ古墳(履中天皇陵)が仁徳天皇の埋葬場所では、との説もある。
学者たちの最大の危惧は名称の問題だ。天皇陵の発掘調査が許されず、埋葬者が仁徳天皇である学術的根拠がなく、考古学者の森浩一同志社大学名誉教授(2013年没)が1976年に「現地名を使うべきだ」と提言し、教科書などもそれまでの「仁徳天皇陵」から「大山(大仙とも)陵」を最初に表記し、カッコ書きで仁徳天皇陵を付記するなどに変わった。
筆者が2年前に調べた中学教材では、以下のように表示されていた。
・東京書籍:大仙古墳(仁徳陵古墳)
・教育出版:大仙古墳
・自由社:仁徳天皇陵(大仙古墳)
・育鵬社:大仙古墳(仁徳天皇陵)
・清水書院:大仙古墳(仁徳天皇陵とされるもの)
・帝国書院:大仙(大山)古墳
また、高校では、山川出版社が大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)、実教出版が大仙陵古墳(伝仁徳陵)、学び舎が大仙古墳だった。ちなみに中学教材『新編新しい社会 歴史』で「大仙古墳」としてきた東京書籍は2012年度から「大仙古墳(仁徳陵古墳)」と変えた。