だが、移住という観点で見ると、いささかハードルが高いのか、その現状は厳しい。また、一度移住しても数年で離れるケースも多く、人気地域とそうでない地域の明暗はくっきりと分かれている。北海道道央に位置する東川町は、20年間で約1000人の人口増に成功した稀有な都市だ。近接都市が微増、微減にとどまる中、なぜ東川町は大幅に人口を増やし得たのか。その秘密を探るべく、現地を訪ねた。
30年前から継続して町おこしに着手
東川町の人口は、1950年の1万754人をピークに減少が続き、93年にはついに7000人を切った。しかし、翌年以降徐々に移住者が増えていき、14年11月には8000人を数えた。東川町から車で30分ほどに位置する、北海道でも有数の大都市であり人口30万人を超える旭川市が、01年から2万人近く人口減少していることを考慮しても、いかにこの数字が特筆すべきものか理解できるだろう。
もともと東川町は水田農業を基幹産業としていたが、旭岳という観光資源と、上水道が一切ないという水事情を除けば、これといった特徴のない地方都市だった。町を離れる人ばかり目立つようになり、危機感を覚えた町職員は「定住促進課」を設立した。85年には世界初となる「写真の町」を宣言し、以降国際写真展の「東川町フォトフェスタ」、高校生日本一の写真を決める「写真甲子園」を毎年開催している。また、景観にこだわりを持ち、住宅や建築物に関しては外観・屋根・色・材質を町指定のもので行えば補助金も支払われる。クラフト、家具生産といった工芸も含め、写真、住宅、工芸品といった要素を強化し、文化都市としての側面を強めていった。