実名・匿名問題で思い出すのは、2013年1月に起きたプラントメーカー日揮の日本人社員10人が死亡したアルジェリアでのテロ事件だ。当初、「会社と遺族の希望」として政府は一切、犠牲者の氏名を報じなかった。帰国後には発表されたが、実名報道した朝日新聞に遺族が抗議する事態も起きた。
19人が殺された3年前のやまゆり園(神奈川県)の殺傷事件の犠牲者は、いまだ匿名のままだ。遺族に「名前を出されれば差別を受ける」と言われれば、警察も発表はできない。一方で、被害者が匿名だと、世間の人々が思いを馳せにくくなるという声もある。
事件ではないが、2005年4月に運転士を含み107人が死亡したJR福知山線の大事故では、遺族の匿名希望が強かった4人を例外にすべて実名が発表された。事故直後に取材に応じた遺族はごく一部だったが、現在も変わらない。それでも娘を奪われ「4・25ネットワーク」を立ち上げた藤崎光子さんに賛同する遺族らが、JRの責任追及や事故再発防止などの行動を行っており、毎年4月25日前後に大きく報じられる。仮に被害者全員が匿名なら、事故に関する報道はなくなっていたかもしれない。
1996年に長男を殺された大阪市の武るり子さん(少年犯罪被害当事者の会代表)は、「近年はインターネットの普及もあり、実名報道のマイナス面ばかりが強調されてしまっている。しかし、遺族も実名報道を通じて、同じ境遇にある他の遺族たちとつながることができる。『報道されない被害』があることも知ってほしい」(産経新聞より)と指摘する。
インターネット上などでは、遺族取材をするメディアが盛んに批判されている。確かに以前は、葬儀などでメディアが遺族を取り囲み「今のお気持ちは」などとマイクを突き付ける姿が批判されたが、最近は筆者が現場で見る限り、そういう取材は滅多に見かけない。
加害者は実名報道
さて、京アニ事件では京都府警は「事件の重大性に考慮して」として、重体で治療中の青葉真司容疑者(41)を逮捕される前から実名発表した。素性、生い立ち、直近の行動などが徹底的に報じられたが、「重大性」をどこで線引きするのか。5人死亡なら重大で容疑者は逮捕前に実名発表、3人なら匿名なのか。あるいは、被害者が創造的なクリエーターたちではなく、「日本のアニメ文化の喪失」とならなければ、大勢が死亡しても重大性の度合いが落ちるのか。まったく判然としない。被害者の匿名がなし崩し的に進めば、海外で自衛隊員が落命したとき、名を伏せることもできてしまう。
痛ましい事件を機に被害者、加害者の実名・匿名が恣意的になってゆくことを危惧する。
(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)