ここ数年の間に、ストリップ業界は女性向けに大きく舵を切った興行を行っている。
特にストリップの大御所である浅草ロック座は、女性をターゲットに大きな変貌を遂げた。例えば、浅草ロック座の化粧室には、あぶら取り紙や綿棒、生理用品などがズラリと並べてあり、ブランケットの貸し出しサービスまで行っている。そして、トイレに置かれたノートには、浅草ロック座を訪れた女性たちの感想が書かれてある。それを見てみると、東京だけでなく、地方から訪れた女性客が多いこともわかる。
かくいう私も、浅草ロック座に行ってストリップを見るのが趣味だ。ストリップの舞台では、女性が生まれたままの一糸まとわぬ姿になり、キラキラと汗を光らせて踊る姿を目の当たりにする。そうすると、なぜだか胸を突き上げるような感情の波が押し寄せる。そして、涙が込み上げてくる。
NHKのドキュメンタリーシリーズ『ノーナレ』では、私と同じようなストリップ女子にスポットを当てた番組が登場した。地上波でストリップの特集が組まれる日がくるとは、往年のストリップファンにとっては、考えられなかったのではないだろうか。
浅草は近年、女性向け興行として、踊り子さんが男性同士の愛を演じるBL(ボーイズラブ)演目にも力を入れている。今年の春に浅草ロック座で開催された『TO -Time is Over-』では、いわゆる「脱ぎ」のシーンでも、BLの男キャラになり切ったまま見事に演じていた。この公演は某有名漫画家・TOの同性愛と猟奇殺人がテーマの作品をモチーフにしている。この景では、実力派である踊り子、安田志穂さんが演じた。
ストリップでは、前半の脱ぎのない踊りはボーイッシュなものもあるが、服を脱ぎ始めると、女性らしさを前面に出したような演出に変化する。踊り子さんは女性だし、裸を前面に出すのだから。しかし、安田さんは、銀髪で白いシャツ、さらにはブラックのホットパンツといういで立ちで男が醸し出すエロスを見事に表現していた。安田さんのブログによると、この景では男子のままの「脱ぐ」という表現の指示が演出家からあったという。これは明らかに女性客を狙ったものだろう。浅草では大きな実験だと感じたが、女性の私からすると、普段女性らしさを演じる踊り子さんが男装したまま演じる姿は、ドンピシャで萌えだった。
勉強に取り組む踊り子さんたち
しかし、ストリップの女性客にこのようなBL演目だけが人気かと思えば、決してそうではない。例えば、去年の秋公演『Once Upon a Dream』にて、大人の香り立つようなエロスを体現した有沢りささんも、すこぶる女性たちに好評だった。有沢さんは、赤いネックレスに赤のガーターベルト、網タイツ姿で、豊満な肉体美を生かし、艶めかしい世界に誘ってくれた。そして、一本鞭をピシリと振り下ろしながら、ゾクゾクするほどの女をこれでもかと演じていた。それは、男女関係なくのみ込まれるような、めくるめく世界観だ。
また、今年の夏公演『百物語』の、妊婦の妖怪である産女をモチーフにした、赤西涼さんの『かざぐるま』という景も、神がかかっていた。おぞましいほどの狂気を孕んだ黒髪を振り乱した赤西さんは、真っ赤なスポットライトの中に立ち、心の底から狂気に満ちた表情を醸し出していた。会場の誰もが背筋が寒くなるほどに、産女に「憑依」し、ストリップを超えた「何か」にまで到達していた。しかし、前盆で裸になるという過程を経て、最後は、(亡き?)赤子を抱きしめ、菩薩のような笑顔に変化する。乗り移るとは、まさにこのことだろうと思った。
踊り子さんは本を読んだり、映画を見たりして、自分に与えられた景の勉強をするという。その過程で、登場人物に激しく感情移入することもあるらしい。すべてを脱ぎ捨て裸になるからこそできる表現だと思う。
浅草では通常、7人の踊り子さんたちが一人約10分間踊り、入れ替わり立ち代わりで現れる。ストリップに行けば、アイドルのようなキュートな女性、色気に満ちた女性、ワイルドでかっこいい女性など、多種多様な「女」の素顔が見られる。いつも舞台に立つ女性たちの多様性にハッとさせられる。そして、私もこのステージに立つ女性たちのように、もっと自分を解き放ちたいと思う。
年齢は非公開にしている踊り子さんもいるが、おそらく40代の方もいらっしゃると思われる。年齢やルックスで消費され、入れ替わるアイドルグループと違って、年を重ねた熟練の踊り子さんに根強いファンがいるのもストリップの面白いところだ。
私は劇場に通うにつれて、いつからか、若くてかわいい踊り子さんよりも、感情表現が豊かで、踊れるベテランの踊り子さんのほうが見ごたえがあるという、通な見方をするようになっていった。今では香盤表を見て、新人さんが多い回よりも「踊れる」踊り子さんがラインナップされている回を好んで観に行くようにしている。自分よりもおよそ年上だと思われるベテランの踊り子さんには、自分には到達できない女性としての凄みを感じるからだ。
多種多様な変化を遂げているストリップ文化。ストリップ女子としては、ますます目が離せないのである。
(文=菅野久美子/ノンフィクション作家)