「一度は料理界から追放されました」
「日本全国を敵に回しました」
そんな言葉から番組は始まった。声の主は、湯木尚二。2007年、賞味期限の偽装、産地偽装、食べ残しの使い回しで廃業に追い込まれた、船場吉兆の取締役だった1人だ。当時の謝罪会見で、母である女将がこう答えなさいと「頭が真っ白になったと」と横から囁いたことから「ささやき女将」が流行語になった。
5月25日放送のNHKの『逆転人生』は「船場吉兆の息子が語る 転落からの生き直し」。どん底まで落ちた湯木尚二が再起した現在までを追った。
尚二の祖父、湯木貞一が昭和5(1930)年に創業した吉兆から、のれん分けで誕生した船場吉兆は日本料理の老舗。子どもの頃からすっぽん料理を食べ、調理場で板前から料理の極意を教わるなど、食の英才教育を受けていた。当時の経営者の父は常々「日本料理は味だけやない。おもてなしの心や」と語っていた。
1995年に尚二は店長となり、1999年には博多に開店した店の店長も兼任した。2000年、主要国首脳が参加した九州沖縄サミットでは蔵相会議の料理を担当し、賛嘆の声が上がった。尚二はメディアにも多く登場するようになり、「料理界のプリンス」と呼ばれた。
だが、さまざまな有力者たちの付き合いが増え、店への関わりが疎かになっていった。そんな中で2007年、賞味期限の偽装、産地偽装、食べ残しの使い回しが発覚し、船場吉兆は廃業に追い込まれた。
財産は没収され、ワンルームマンションでの1人での生活が始まる。2008年に定食屋で皿洗いの仕事を始めるが、探り当てた記者が店に訪ねてきた。「ご迷惑をおかけいたしました」と言って、尚二はたった1カ月で勤めを辞めることになった。
2010年、尚二は知り合いの不動産屋から電話を受ける。鮨屋の経営者を探しているとのこと。行ってみると、6坪ほどの店で鮨を握っている主は、船場吉兆が健在だった頃に行きつけだったバーのマスターだった。鮨屋になりたいという夢を語っていたことがあったが、それを実現したのだ。高齢になったため、後継者を探しているとのこと。尚二は引き受けた。
予約の電話があり、当日待っていると誰も現れないということがあった。看板を叩き割られたこともあった。尚二の店だと知っての嫌がらせだった。
おもてなしの心という父の言葉を、尚二は実践した。いつも丁寧に見送りながら、翌月の献立を渡した。客の会話を耳にして、おめでたい会だとわかると、赤飯を出した。しだいに店は満員が続くようになる。常連客の一人から、北新地で店をやらないかと持ちかけられる。銀行に相談するが、あの船場吉兆の経営陣だったということで、融資は断られた。
「奈落から生還した瞳はとても強くて優しい」
ある日、鮨屋で食べ終わった客が改まった口調で、「この料理なら北新地でも十分やっていけます」と語った。なんだろうと訝る尚二に客は、銀行の者であることを明かす。融資が実現したのだ。店を開くために尚二は、船場吉兆の頃の従業員に声をかけた。全員が承諾した。尚二は北新地に店を開いた。
行きつけの店のママは、尚二を語る。
「あのまま順風満帆にこられてたら嫌な方になったと思う。今となってみてあれは神様からの宿題やったんじゃないかなと思います。あの地獄を味わった人間は同じ地獄には絶対に落ちはれへんと私は思います」
番組の放送を受け、インターネット上では視聴者から次のように感動の声があがっている。
「廃業後小さな店でのスタート。誕生日には御赤飯等一人一人に想いをこめた細やかな気配り 神様は見捨てない。いつしか北新地に店を 奈落から生還した瞳はとても強くて優しい」
「涙がちょちょぎれる話だったなあ…」
「船場吉兆の一連の事件でどん底に落ちた湯木尚二さんのお話。感動。」
「船場吉兆の話で、人は誠実であるべきだと思った。立ち直ろうと努力する姿に共感した」
「信用を失いほとんどの人に背を向けられた社長。今では大阪の高級店をあづかるすごい人」
「人を地獄に落とすのも人。人を地獄から救い出すのも人だということが しみじみと感じられた。良番組だった」
「どん底を味わうってこういうことかと…商売を拡げ過ぎて世間に突き放され、でもやっぱり料理の世界で生きていく」
「店を出すにあたり昔の船場吉兆の仲居さんや、料理長を招いて、料理を提供して説得したらしい」
一方、次のような声もみられる。
「事件の内容が分からないと美談に見えてしまう」
「ほんわかとした美談としてまとめていることに少し違和感を感じました」
「ああいう事件が『起こって』って他責にして自分達も被害者のような作り方で。何一つ心に響かなかった」
「どん底に落ち、復活出来たのは良い事だと思うけど この騒動で職を失った人たちの事を考えると」
尚二の父はすでに亡くなったが、母はたびたび店に食事に来るという。高齢のため聴力が衰え、大きな声で話さないと伝わらない。それに合わせたように母も喋るという。「今は、ささやきではなく大声です」と、地獄を見た者の余裕で尚二は笑ったのであった。
(文=編集部)