“無能”記者でも大手新聞社長になれちゃう!?だが、不倫にしくじり窮地に!
ペントハウスのドアを開けたのは午後10時半過ぎ。玄関で腕時計に目をやった。
「あと30分くらいか。どうしたものかな」
村尾は独り言ち、コートのボタンを外しながら20畳ほどの広さのリビングに向かった。
リビングには食卓用のテーブルセットや横長のソファーなど、神楽坂から運んできた家具が配置されていた。しかし、引っ越したばかりで、段ボール箱も残っていて、部屋は雑然とした感じだった。隅のハンガー掛けにコートを掛けると、窓際のソファーに腰を下ろした。そして、茶褐色のチーク材のリビングテーブルの上からタバコを取り、火をつけた。
「どうやって説得するかな……」
村尾はタバコを吸い込み、煙をゆっくり吐き出した。タバコを灰皿に置くと、ソファーに身を埋め、天を仰ぎ、唸った。しばらくして身を起こし、背広を脱ぎ、ネクタイを外すと、隣の1人用のソファーに放り投げた。そして、メインベッドルームに向かった。
ダブルベッドは朝起きたときのままだった。毛布もシーツも乱れ、昨晩の情事の痕跡が露わだった。見つめていると、昨晩の快感が蘇ると同時に、彼女の言葉が耳の奥で響いた。
「奥さんと一緒に住まないなら、離婚して私と結婚してよ」
村尾は目を瞑り、声を振り払うように、首を振った。すぐにリビングに戻ると、サイドボードからブランデーの瓶とグラスを取り出した。ソファーの前のリビングテーブルで、グラスに注いだ。グラスの中で琥珀色のブランデーを転がし、なめるように飲んだ。
ブランデーグラスをテーブルに置くと、また、タバコを1本取り、火をつけた。軽く吹かすと、ソファーに身を沈めた。村尾は最も得意と自他ともに認める女性問題で難題を抱え込んでいたのだ。名案が浮かぶはずもなく、苛々を募らせるばかりだった。指に挟んだタバコの灰が落ちそうになるのに気づき、慌ててタバコを灰皿に押し付け、立ち上がった。
ソファーの脇の窓から外を見た。東向きの角部屋で、皇居の方角が望めた。皇居の森の向こうには大手町のビジネス街のビル群が見えたが、日亜本社ビルは確認できなかった。
「もうすぐ帰ってくるな。俺がこんなことでつまずくはずはない。ほかの男とは違うんだ」
村尾は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
●女たらしの本性
大抵の男には浮気願望のようなものがある。大都の烏山凱忠(相談役)と松野にも、たまたまそのチャンスがめぐってきた。2人とも誘惑に負けてのめり込んだが、ほかの男でも同じような場面に遭遇すれば、不倫に溺れたに違いない。しかし、村尾には2人とは違うという思いがあった。「女たらし」「すけこまし」という言葉がぴったりするような本性があったからだ。
その本性がどうして形成されたかわからないが、女3人、男1人の4人姉弟という家族環境が影響したのかもしれない。子供のころから村尾は姉3人の顔色を窺いながら生きてきた。知らず知らずのうち、女を扱うテクニックを身につけたのだろう。
もし、村尾がサラリーマンでない職業を選んでいたら、「ジゴロ」として十分やっていけるような気もする。もっとも、もう1つの本性「小心者」が災いして「プレイボーイ」になりきれていないところをみると、ジゴロになっても中途半端に終わった可能性が強い。
いずれにせよ、こと女性問題については絶大な自信を持っていた。しかし、その村尾が難題を抱え込んだ。その現場が“自宅”マンションだった。「美松」を出てリバーサイドに寄ったのは、なんとなく自宅に帰りたくない気分だったからだ。だが、タクシーに乗ってしまうと、自宅が近付くに従い、苛々が嵩じるのは当たり前だった。
烏山や松野の「火遊び」のような不倫なら、一過性のところがある。だが、村尾の不倫相手は1人ではない。「ジゴロ」が蹉跌すると、抜き差しならない泥沼に嵌る可能性がある。