9月18日に閉幕したリオ2016パラリンピック。8月5日より行われたリオ五輪に続き、ブラジル・リオデジャネイロを舞台に行われた競技大会はすべて幕を閉じた。
国や都市の印象は、結局のところ、その地で出会った人々の印象によるところが大きい。祭典や儀式もしかり。ましてや訪れる機会、催される機会が少ないとなおさらである。そういう意味では、リオ五輪・パラリンピックは成功したといっていいのではないだろうか。
人材不足となった五輪運営
財政悪化にあえぐリオデジャネイロ市は五輪開幕前の7月、競技運営費を当初の計画より35%削減すると発表。その影響がもっとも表れたのは、ボランティアだった。
約24万人の応募の中から選ばれた7万人のスタッフが任務に就くはずだったが、削減に伴い、約5万6000人の人員に縮小されることとなった。さらに、人数が減ったことでボランティア1人当たりの負担が増え、きついスケジュールや、十分な業務サポートが受けられないといったことが原因で、1万5000人が途中で離脱したと伝えられている。
実際、どの会場でもボランティアの人員が不足していたのは一目瞭然だった。
もっとも重要な、スタジアム内で座席の案内をする係などはどこもまばら。既存の競技施設ではスタンドの入り口や座席の通路番号などに案内板があるので、それほど困ることはなかったが、仮設のビーチバレーアリーナ、新設されたオリンピックパーク内の競技場では、座席やトイレの場所など、質問したいときに近くにボランティアがいないことが多かった。さらに英語を話せるスタッフが少なく、意思の疎通にも時間がかかった。
飲食物の販売係の人員も大幅な削減にあったようで、面倒で手間のかかるチケット制での販売(飲食物のチケットを購入し、異なる場所でチケットと商品を交換する)だった。そのため、人員不足が如実に表れ、スタンドはガラガラでもビールを1杯買うのに10分、なかには1時間も並ばなくてはいけない会場もあった。
そんな人手不足は、会場内だけではなかった。
既報の通り、大きく4つの地区に分かれていた競技場だが、どの地区への移動にも、地下鉄やBRT(バス高速輸送システム)を複雑に何度も乗り換えないとたどり着けない。そのため乗り換え地点では迷う観客が多く、間違えて乗ってしまう人も少なくなかった。私も2度、間違えた。