男性の胸部外科医が手術後の女性患者の胸をなめるなどしたとして、準強制わいせつの罪に問われ、一審で無罪となった事件で、東京高裁(朝山芳史裁判長、伊藤敏孝裁判官、高森宣裕裁判官)は、医師を懲役2年の実刑とする、逆転有罪判決を出した。
同高裁は、これまでの審理で議論の前提となっていた証言について、判決で突如信用性に疑問を投げかけ、証明力を減殺させた。その一方で、一審で疑問符がつけられた科学鑑定は、技官の経験などから信用できると認定。鑑定の科学性に頓着せず、これまでの議論の積み重ねの前提をたたき出す、だるま落としのような判決に、衝撃が広がっている。
議論の前提となっていた看護師証言
裁判では、1)被害者の訴えは、手術後の「せん妄」による幻覚だった可能性があるか否か 2)被害者の胸をガーゼで拭って採取した微物鑑定の科学性、証明力――が争点になった。
患者A子さんの訴えによると、男性医師は2016年5月10日午後2時55分頃から3時12分頃までの17分間に、2回にわたって病室で、手術をしなかった左側の胸をなめたり吸ったりしたうえ、ベッドサイドで自慰行為に及んだ、という。
病室は4人部屋で満床。各ベッドの周囲は、床上35センチの高さまで薄手のビニールカーテンで囲われていた。A子さんによれば、男性医師は、1回目は女性看護師がカーテンの中に入ってくると逃げるように出て行き、2回目はA子さんがカーテンの外にいた母親を呼ぶと、やはり逃げていった、とのことだ。
一審の東京地裁は、A子さんの証言について「具体的で迫真性にとみ、供述の一貫性がある」と認定。供述調書には書かれていないのに法廷証言で語られた事実や、看護師が出入りしたり母親が近くにいる所で医師が自慰行為に及んでいたなどという訴えなどに疑問符をつけながらも、信用性を認めた。
そのうえで、検温の看護師に「ふざけんな、ぶっ殺してやる」などとつぶやくなどのA子さんの状態や専門家による証言を前提に、手術時の麻酔薬が通常より多く投与される一方、鎮痛剤の投与は少なく疼痛を訴えていたことから、当時のA子さんはせん妄に陥りやすい状態にあり、それに伴う性的幻覚を体験していた可能性がある、と判断した。
控訴審では、裁判所がA子さんがせん妄状態にあったのかどうかなどを「関心事項」として示し、その訴訟指揮によって、検察・弁護側がそれぞれ推した専門家の証人尋問が行われた。
検察側証人の獨協医科大埼玉医療センターの井原裕教授は、「私はせん妄研究の専門家ではないが、司法精神医学の専門家である」として、せん妄を飲酒による酩酊の程度にたとえる、独自の論を展開。「ふざけんなよ、ぶっ殺してやる」発言が出た時点では、A子さんは「病的酩酊」「複雑酩酊」にあたる「過活動型せん妄に伴う興奮」状態だったが、その後「単純酩酊」にあたる「低活動型せん妄」に移行し、被害を訴えた時点では、「ほろ酔い」状態で、「ほろ酔いの人が幻覚を見るわけがない」と述べた。そして、被害の訴えは性被害者の証言の典型として信用できる、と断言した。
井原教授がオリジナルな説を展開したのとは対照的に、弁護側証人の埼玉医科大国際医療センターの大西秀樹教授は、国際的に使われている2つの診断基準(DSM-5とCAM)を用いて、A子さんの当時の状況を分析。A子さんの状態は、せん妄に関するDSM-5の5つの診断基準をいずれも満たし、CAMにおいてもせん妄と認定できる、と判定した。また、せん妄からの回復は「(酔いが覚めるように)直線的に回復していくとは考えない」として、井原説を否定した。せん妄に関する論文が多く、いわばせん妄の専門家である大西教授は、自身が体験したせん妄の事例も挙げて解説した。
上記のように、いずれの証人も、看護師3人や同室の患者を含む一審での証言を前提に、主張を展開していた。検察側も、一審では「病院関係者は口裏合わせをしていて信用できない」と述べたものの、控訴審の弁論では、そのような主張はしていない。それどころか、看護師証言を前提にした井原証言を全面的に支持している。
看護師証言をめぐる高裁の“ご都合主義”
ところが判決では、「ぶっ殺してやる」という発言がカルテに書かれておらず、A子さんの状態が「せん妄」とカルテに記載されていないことを挙げ、看護師証言は「病院関係者による証言であるから、その信用性は慎重に行う必要がある」と指摘。その証言は「弁護人や病院関係者の影響をうかがわせる」などとして、信用性を減殺させたうえで、一審を含めた専門家証人による「せん妄」との判断も「これらの事実(=看護師証言)が認定できないとすると、各証言の信用性も大きく損なわれる」とした。
だるま落としで、下のほうの木片をたたき出すように、一審、控訴審と積み上げてきた議論の前提をはじき飛ばした東京高等裁判所。もし、一審の記録を読んで病院関係者の証言の信用性に疑問を抱いたのであれば、裁判所は彼らを控訴審に呼んで、その証言態度を確かめ、偽証しているかどうか自ら問いただせばよかったのではないか。
しかし、高裁裁判官らが控訴審に臨んで検察・弁護側が双方に示した「裁判所の関心事項」には、病院関係者を含む証言の信用性には触れていない。にもかかわらず、自分では見ていない聞いてもいない(しかも一審裁判官らは「概ね信用できる」とした)病院関係者証言の信用性を貶めたのは、弁護側にとっては、予想もしない不意打ちだった。
ところが、それでは検察側証人の井原氏の証言と矛盾することになる。それを立て直すためだろう、高裁判決の看護師証言についての評価は、その後、さらに揺れる。
判決は、A子さんが手術後にしきりに不安を訴える言動を示していた旨の記載がカルテにあることを挙げ、「これらは、せん妄の徴候と見る余地もある」と述べる。そして、「ふざけんな、ぶっ殺してやる」発言が認定できるならば、「せん妄という診断がされ得ることは否定できない」と、せん妄の可能性をよみがえらせた。
さらに判決を読み進めると、「ふざけんな、ぶっ殺してやる」発言があったことを前提に、「この時点でせん妄状態にあり、幻覚を見ていた可能性は否定できない」とも書いている。そして、このように続く。
「麻酔の影響が抜けきっていないとも考えられるから、いささかその場の状況にふさわしくない言動をしても、不自然、不合理ではないというべきである」
「『ふざけんな、ぶっ殺してやる』との言動は、A子自身記憶がないことに照らしても、幻覚によるものとして矛盾がない」
それでも判決は、被害証言は「生々しいもの」で、これを「せん妄による幻覚として説明することは困難」として、高い信用性を常に維持させた。
要するに、せん妄による幻覚の可能性があるとする専門家たちの証言の信用性を落とすために、看護師証言を疑問視するが、検察側証人の井原教授の証言を生かすために、同じ看護師証言を所与の事実のように扱っているのだ。これをご都合主義といわずに、なんと呼べばいいのだろうか。
高裁判決は、専門家証言に対する評価の仕方も、独特である。
検察側証人の井原教授について、「せん妄に関する専門の研究者ではないが、せん妄に関する豊富な臨床経験を有している」などと高く評価。せん妄を飲酒酩酊と同様にとらえたことは、「学会において一般的に承認された考え方ではない」と認めつつ、それでも「このことから同医師の証言全般の信用性が損なわれるものではない」と擁護した。
一方、弁護側証人となった大西教授については、「せん妄に関する専門の研究者」と認めたものの、「その研究分野はがん患者のせん妄や末期治療を中心とするもの」であって、(A子さんとは異なる年齢層の)高齢の患者を多く診ている、とケチをつけた。これは、井原教授が「(A子さんは)若くてピンピンしていて、せん妄準備因子がない人」として大西証言を批判したのに、裁判所が便乗したのだろう。弁護側は「若年のせん妄と老人のせん妄が異なるという医学的知見はない」と反論していたが、裁判所はそれを、格段の理由を示さずに退けた。
こうして、大西証言は井原証言に比べて「信用性が低い」と断じたうえで、「A子は本件当時せん妄に陥っていたことはないか、仮にせん妄に陥っていたとしても、せん妄に伴う幻覚は生じていなかった」と結論づけた。
結局、国際的な診断基準に基づく判断よりも、「学会において一般的に承認された考え方ではない」独自の説に、裁判所は軍配を上げたのである。
専門家証言を吟味し、より信用できると判断した意見に従って、A子さんの証言を分析するのではなく、A子さんの証言を事実として認定することを決めたうえで、それに添う専門家証言を採用した、ということではないのか。
「科学的厳密さ」を軽視した高裁判決
本件では、A子さんの左胸から採取した微物を調べた警視庁科捜研の鑑定結果も争点になっている。唾液などの付着を調べるアミラーゼ鑑定では、色調の変化で陽性と判定されたが、写真などの客観的な記録は残されていなかった。DNA定量検査についても記録が残されていない。本件では検出したDNAの量が重要であると検察官に告げられた後、技官は残った抽出液を廃棄しており、再検査ができなくなった。さらに、実験ノートに当たるワークシートを鉛筆で記入し、消しゴムで消して書き直した部分が、法廷で明らかになっただけで9カ所あった。
一審は、こうした点をふまえて、「信用性には一定の疑義がある」「証明力は十分なものとはいえない」とした。
ところが今回の高裁判決は、鑑定を行った技官が「相応の専門性、技量、実務経験を有し」「あえて虚偽の証言をする実益も必要性もない」などとして、「信用性を否定すべき理由はない」と鑑定結果に高い信用性を与えた。
客観的な記録がなく、残余抽出液の廃棄で鑑定の検証機会が失われた点などについては、東京高裁の判断は以下の通りだ。
「科学的厳密さを損なうことにはなるが、このことからただちに(技官の)証言の信用性が失われるとはいえない」
「検証可能性の確保が科学的厳密さの上で重要であるとしても、これがないことがただちに本件鑑定書の証明力を減じることにはならないというべき」
ワークシートの鉛筆書きについても、書き直し部分が「結論に直結」しないとして取り合わなかった。
要するに、刑事裁判では「科学的厳密さ」は、被害証言に比べて、それほど重要ではないと、高裁は宣言したに等しい。
これは、恐ろしいことではないか。裁判で科学的な証拠や証言の重要性がますます増していることを考えると、他のさまざまな事件への影響も懸念される。
医療の世界でも、この判決は衝撃をもって伝えられた。
新しく日本医師会会長に就任した中川俊男氏は、7月15日の会見で本判決に触れ、「体が震えるほどの怒りを覚えた。日本医師会は、判決が極めて遺憾であることを明確に申し上げる」と述べた。麻酔医でもある今村聡・副会長も「このような判決が確定することになれば、全身麻酔下での手術を安心して実施することは困難となり、医療機関の運営、勤務医の就労環境、患者の健康にも悪影響を及ぼす」と危機感を示した。
被告・弁護側は、高裁判決を不服として、即日上告した。最高裁が、「科学」に対してどのような姿勢で向き合うのか、注目したい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)