また、歴史研究家のブライアン・エドワーズ氏は「あまりにも長い間、ストーンヘンジの復元作業に関しては伏せられてきた。それについてほとんどの人が知らないことに驚いている。将来、ガイドブックがすべてのことを伝えるようになればいい」と語っている。
知られざる調査と発掘の歴史
記録にある最初の調査は1798年、大規模な調査は1900年に行われ、発掘作業は国有化されたあとの1919年から26年まで行われたとされる。だが、一般的に使用されている「調査」や「発掘」という言葉は現実的には不適切で、「復元」が相応しいと思われる。
というのも、19世紀末までは、ストーンヘンジを構成する巨大な組み石(トリリトン)や立石(メンヒル)は崩れかかっていたが、1900年からの「調査」や19年からの「発掘」によって、それらの多くが垂直に立て直されたからである。すなわち、巨石は一度取り除かれ、穴が掘り直され、垂直に立てて戻される際、巨石の足下は頑丈なコンクリート基礎で固められたのだ。
そんな復元計画に関して、当時の英国の新聞「タイムズ」には反対の声が多数寄せられたという。おそらく、遺跡にどのくらい手を加えるべきか議論されたのだと思われるが、調査や発掘という言葉の意味を超えて復元作業は強行されることになった。
当時の調査・発掘の詳細はほとんど公表されていないが、わずかに写真資料は残されている。例えば、1901年の写真を見ると、「調査」においてすでに大規模な復元作業が行われていたことがわかる。
その後、1919年、20年、58年、59年、そして64年にも復元作業は行われた。20年には6つの巨石が起こされ、コンクリートで固定された。58年にはアルターストーン(祭壇石)の穴が掘られ、トリリトンが再建された。また、59年には3つの巨石が、64年には4つの巨石が起こされ、コンクリートで固定された。チッペンデール氏によると、1964年の時点でほぼすべての石は動かされ、コンクリートで固定されたという。
これまでほとんどの人はその事実を知らずにきたが、2012年になり、あるロシアの情報サイトが暴露するかのように、1950年代に行われたストーンヘンジ復元作業の様子を詳細に捉えた写真108枚を公表し、衝撃を与えた。