突然、昔の話を持ち出して特定人物を攻撃する。奸計を企む輩の常套手段でもある。
これがレスリング界で顕著だったのが、五輪4連覇のヒロイン伊調馨選手に対する、日本レスリング協会元強化本部長、栄和人氏による「パワハラ騒動」だ。「伊調選手の出入りを禁じさせ練習をさせないようにした」など、栄氏に対する告発内容の核心部分は第三者委員会で完全に否定された。しかし伊調、吉田沙保里はじめ多くの五輪メダリストや世界チャンピオンを育て、お茶の間でも人気だったヒーローの転落話はおもしろい。「週刊文春」(文藝春秋)を筆頭に「バッシング」を続けたメディアとしては、「否定」ではおもしろくない。そこで第三者委員会で一部認められた「お前、よく俺の前でできるな」と伊調に栄氏が言った発言が、針小棒大に報じられた。告発の内容はすべて10年近く前の話だった。
伊調自身も「告発に関わっていない」とコメントした不自然な告発の背景に、東京五輪を前に栄氏が監督を務めていた至学館大学からヘゲモニーを奪いたい日本体育大学の松浪健四郎理事長らの策動があった。筆者はこの告発や報道(とりわけフジテレビ)の理不尽を世に問うた。(詳細は『令和日本のタブー』<宝島社>)。だが実態がどうあれ、告発側はメディアを使って世間にネガティブイメージを印象づければ十分だった。
レスリング界で今、この「昔話作戦」が蠢く。「週刊新潮」(新潮社/8月27日秋初月増大号)でやり玉に挙がったのは、栄氏ではなく同協会の高田裕司専務理事(66)である。1976年のモントリオール五輪で金メダル。連覇確実と見られたモスクワ五輪は日本がボイコットし、柔道の山下泰裕氏(現日本オリンピック協会<JOC>会長)らと泣いて悔しさを訴えた元天才レスラーだ。
JOCへの告発状
記事中の匿名告発者で4月にJOCに告発状を送ったのは、関東地方の高校でレスリングを指導するA氏だ。全日本のジュニアコーチなども務め、指導者として評価は高い。
告発の内容をかいつまむと、国の補助金からJOCが委託する専任コーチへ謝礼金が払われていたが、協会は2012年頃まで、その謝礼金の一部を毎年、専任コーチからの寄付というかたちで協会に納めさせていた。寄付を強制していたのが高田専務で、集めた金を強化費など公的な目的でなく私的に流用していたというもの。具体的な証拠として「自分が振り込んだ通帳の開示」を挙げており、銀行名や支店、口座番号も載せている。A氏はJOCに対して以下のように主張している。
「他のコーチたちは、お金を渡さないと今の役職から降ろされてしまうのではないかという恐怖心から振り込みをしたとも聞いています」
「何度となく振り込んだ金の使い方について問いただしました。すると驚いたことに(JOCエリートアカデミーに勤務していた高田氏の妻が住んでいた)赤羽のマンションの費用が払えないからその費用に使う、と答えた」
高田氏への不満を滔々と述べているものの、全体的に日時や場所などの具体性には欠ける。
JOCに訴えるなら山下会長宛てにするべきところだが、なぜか「常務理事 籾井圭子殿」宛てになっている。文面からはA氏が個人的に籾井氏を知るわけでもなさそう。誰かの入れ知恵か。
A氏はかつて高田氏が面倒を見た人物だった。「飼い犬に手を噛まれた」点では栄氏vs.伊調選手と似る(伊調選手は「週刊文春」では栄氏批判のコメントをしている)。A氏は筆者の電話取材に対して「今になって告発しようと思ったのは、3月の『週刊新潮』にF選手のことが出ていて、まだあんなピンハネやっているのかと思ったからです」と切り出した。山梨学院大の教授を務める高田氏が同大の選手から強化費などをピンハネしているという記事だった。
「告発したい人はいっぱいいるが、高田氏の周囲は彼が選んだ取り巻きばかり。協会人事で彼が絶対権を持ち、いろんな圧力をかけるから、みんな怖がって言えない。(福田富昭)会長に迷惑がかかるので我慢している。キックバックシステムは高田氏と事務局長の菅(芳松)氏の発案。私は毎年振り込むときに『おかしい』と高田氏と喧嘩していた」と話す。
「高田氏は公金を公金として使わず私物化していた。寄付金を拒否して払っていない人なんかいないのでは。自衛隊や警視庁などあらゆるコーチから集めた。ほとんどが年に100万から150万円払わされ、高田氏は毎年、5000万、6000万を手にした。入金先はみずほ銀行の渋谷支店の口座で、通帳を開示してもらえば誰がいつ出金したかもわかる。JOCの判断も遅すぎれば刑事事件として時効になってしまう。それまでになんらかの行動もとりたい」(A氏)
A氏の話は急に飛ぶ。
「伊調―川井(梨紗子)のプレーオフの試合の判定は滅茶苦茶。第一ラウンドで足取ったところなんか2ポイントのはず。伊調もALSOKも申し立てしなかったけど、日本の審判のレベルが問われる。これまで山梨学院の選手やOBが有利になる山梨判定といわれ、ボクシングの奈良判定のようなことが起きていてみんな不信感を持っている」
JOC宛ての手紙には伊調―川井戦については触れていない。具体例はないが「山梨判定」とは書いている。
高田専務の反論
日本レスリング協会はJOCに対して、8月31日までに「寄付は任意。海外遠征での選手やコーチ、レスリング記者との会食費などに使われた」などとする中間報告書を出した。一方、高田専務はこう怒りをみせ話す。
「寄付制度はロンドン五輪までは認められていたが、それ以降は禁じられた。久木留(毅)氏(現国立スポーツ科学センター長)が窓口で、通帳は事務局に預け事務局長が管理していて、私は出金などしていない。8年以上前のことを言われてJOCも困っているようだ。お咎めはあるのかもしれないが結論を待っている。妻がマンション代に使った、など話にもならない。妻は『通帳を開示すればいい』と言っている。名誉棄損の提訴も考える」
さらにJOCの理事でもある高田氏は、ある大物の名を出した。
「馳が全部裏で動いていることはわかっている。会長職を狙っている。本来、福田会長はこの夏の東京五輪で勇退するはずだったが、五輪が延期になったりで焦っているのでしょう。もう副会長も9年近くやってるし」
馳とは馳浩氏のこと。プロレス出身の衆院議員で、同じ北陸出身の森喜朗元首相に可愛がられ、安倍内閣で文部科学大臣も務めた。レスリング協会では複数いる副会長の一人だ。「専任コーチの寄付を扱っていた久木留氏は、馳氏の専修大の後輩で秘書役も務めていた」と高田氏。専修大にはソウル五輪金メダリストの佐藤満教授もいる。A氏が「理事会で高田の意図にそぐわぬ発言をして役員を解任された」と告発状で書いているのは佐藤氏のことだ。
真夏のバトルにある協会関係者はこう明かす。
「専任コーチから強化委員会に寄付させていたのは事実ですが、当時は任意の寄付なら違反でもなく、コーチ側は寄付を納得していたはず。払わない人もいた。JOCにはスポーツ庁に通じる女性がいて、スポーツ庁関係者が知るはずもない理事会の内容を知っていたことが多かった。スポーツ庁、つまり鈴木大地長官を動かしているのも馳氏。以前からあれこれマスコミにリークし、会長責任だと糾弾して福田体制を倒したがっていた。実際、理事会などで会長と口論していた。福田会長が後任に高田専務を据えようとしているのを阻止したいのでしょう」
ここで登場する女性が、前述の籾井圭子氏である。文科省広報室長だったキャリア官僚。A氏の告発状が山下会長宛でなく、籾井常務宛てになっていることが馳氏の関与を十分に窺わせる。
新型コロナウイルスの影響で選手たちがマットでの本格的なスパーリングができないというのに、元プロレスラー氏は久々に場外乱闘をしたいのだろうか。