安倍晋三前首相が退任後、積極的に“応援団”メディアのインタビューに登場している。9月中に読売新聞と日経新聞、10月に入って産経新聞。直近の産経では、「『戦後』を終わらせることができた」と在任中の成果を自画自賛していた。
「安倍氏は議員会館に毎日出勤しているそうです。会館の事務所には頻繁に来訪者がやってきて、長期間の首相在任に対する慰労の言葉を口にしてくれるので、安倍氏にとっては溜め込んだストレスのいい解消になっているようです」(安倍氏周辺)
9月28日には出身派閥の自民党細田派(清和政策研究会)の政治資金パーティにも姿を現し、「だいぶん薬が効き、回復しつつある」と壇上で挨拶してもいるが、さっそく細田派からは安倍氏に「派閥に戻ってほしい」とラブコールが起きている。
というのも、菅義偉政権になって細田派の求心力が一気に低下しているからだ。本来、派閥というのは総裁候補を抱えて切磋琢磨する政策集団、ということになっている。ところが、細田派領袖の細田博之会長は、あくまで安倍政権下で派閥を預かっていたにすぎず、76歳と高齢なこともあり、総裁候補にはなり得ない。安倍氏が首相のうちはそれでもよかったが、無派閥の菅政権では力を発揮できず、派閥が不安定化している。菅首相誕生の流れをつくった二階俊博幹事長率いる二階派が、人事などで我が世の春を謳歌しているのを苦々しく見ているのが現状だ。
そんなことから、細田派の一部から安倍氏復帰を望む声が上がる。特に元会長の森喜朗元首相は、細田派が党内最大派閥にもかかわらず幹事長も官房長官ポストも取れなかったことにたいそう不満で、安倍氏に直接、派閥復帰を促したことを前述の派閥パーティで明らかにした。
しかし、安倍氏本人は派閥復帰に消極的。「まだ体調が不安定で、それどころではない。この先も病院通いが続くようだ」(安倍氏周辺)という。
早くも次期総裁候補争い
本命不在の細田派内では、すでに来年を見据えた次期総裁候補争いが始まっている。筆頭は下村博文政調会長。今年の夏前から総裁狙いの動きを表面化させている。6月に議員連盟「新たな国家ビジョンを考える会」を発足させ、自ら会長に就任した。菅政権で党三役に就くと、「日本学術会議の新会員任命拒否問題」に素早く反応。学術会議の在り方を議論する党内プロジェクトチームを立ち上げ、露出を高めることに余念がない。
「下村氏は、先の総裁選でも細田派の候補になるべく20人の推薦人集めに奔走した。実際、20人は集まったのですが、党内で人望があるとはいえないのがネック。それに、森元首相が下村氏をよく思っていない。下村氏が文科相時代に、東京五輪の施設建設費削減をめぐって意見対立したことが根にあるようです」(細田派議員)
下村氏が会長の議員連盟を共に立ち上げ、幹事長に就いた稲田朋美元防衛相も、細田派で総裁候補を目指す1人。昨年、党内で「女性議員飛躍の会」を結成し、女性議員の仲間づくりに力を入れる。先の総裁選では安倍氏を官邸に訪ね、自身を推してほしいと直談判もした。
だが、長年、保守色を前面に出して党内右派のヒロインのように振る舞ってきたのに、選択的夫婦別姓に理解を示すなどしたことから右派の一部が稲田氏から離反。保守系議員は「総裁候補なんて勘違いも甚だしい」と冷ややかだ。
コロナ対策担当を続投した西村康稔経済再生担当相と同じく留任した萩生田光一文科相も総裁選に色気アリで虎視眈々。西村氏は自民党が下野した2009年の総裁選に出馬した経験もある。両者は大臣のポストを生かして存在感を高めることで総裁候補の一角に浮上する戦略とみられる。
「ただ、西村氏も萩生田氏も『俺が、俺が』の目立ちたがりタイプで、細田派内のシンパはそう多くない。実は、派内で最も人望が厚いのは事務総長の松野博一氏(元文科相)なんです。ですが、総裁候補となるには知名度がなく、地味すぎる」(細田派議員)
帯に短し、たすきに長し。一旦、安倍派への衣替えを目指すしかないのか。「安倍氏の再々登板」なんて冗談のような話が燻るほど、細田派はお寒い状況なのだ。
(文=編集部)