近所で集めたゴミを、高級品にして売る リサイクルとはいったい何か
今回の番組:4月2日放送『ガイアの夜明け』(テレビ東京)
「ゴミの中にこそ宝がある」と言ったのは、僕が6年前に撮影した映画『童貞。をプロデュース』の主人公の一人、梅澤君だ。彼は実家のある秩父に住み、ブックオフなどの古書店で「それいるの?」と思うような本を買う。榊原郁恵の自伝を前に「別に欲しくないけど、安いので買いました」と言い切る彼は、モノを買わずにいられない僕らの心情を代弁し、実行しているなと思う。
梅澤君はそのセンスを映画で披露したが、『ガイアの夜明け ゴミから高級品を作る!』に登場する人々は、それを商売として成立させている。名古屋に店を構えるモデコは、廃タイヤや廃棄シートベルトを見事なバッグへと変貌させた。廃材を利用する商品のことをアップサイクルと言うそうだ。代表の水野さんは「大量のゴミを見ると、このままにしておくのは人としてどうなんだ、と、ごく当たり前の感情が働きます」と語る。わかってはいるが、それを実行できる人はそういない。
彼はひとつ10円で仕入れた古着の消防服250着を利用してバッグを作る。地元のクリーニングに出して、通常の布とは違う生地にハサミを傷めながらもサンプルを作成。その様子がまるで工作をするかのようで楽しそうだ。行程が決まっているものではなく、自分の想い描いたアイデアを形にしているからだろう。NAGOYAという消えかかった文字もデザインに組み入れる。こうして一点モノの商品が、2万3100円で売られるのだ。
彼の実家が興味深かった。積まれたレンガと花壇の位置がいい意味で日本らしくない。手作り感あふれる室内もセンスの良さが光る。父は美容商社の三代目で息子のやりたいことに先行投資をしてきたそうだ。水野さんは音楽活動をしていたが、夢を諦め父の会社に入り、モデコを立ち上げたらしい。父はビールを飲みながら「ここから回収する」と笑うが、それは可能ではないだろう。リサイクルがアップサイクルという言葉に変わり、次第にライバルが現れるような商売にまで成長したからだ。それに先陣が武器になる。
奈良で工房を営む永島さん夫婦は、廃材を高級家具を作る。田んぼに転がる廃材を集め、材質を知り尽くした知識を生かし、制作する。桜のついたては100万を超える商品だが、桐の板に本物の桜を張りつけている。桜の形にくり抜いた箇所から光が入り、床に桜を散らせるというアイデアが素晴らしい。廃材となっていた桜に再び命を吹き込んだ。
ふたりがこの仕事を始めたのは阪神淡路大震災がきっかけだった。当時神戸に住んでいたふたりは被災し、奈良に移る。専門学校で家具作りを学んでいた妻は、解体現場で働いていた夫に廃材を持って帰るように頼み、卒業制作を完成させた。こうしてふたりの工房が生まれたのだが、購入者にも好評だ。「ふたりの愛情も家具から伝わる」と語るが、それは商品だけを指すのではなく、ゴミから高級品を生み出すセンスのことも指しているに違いない。
永島さん夫婦は石巻に向かう。津波で流された大量の瓦礫の中から使えそうな廃材を探している。大きな柱を見つけると妻は泣き出しそうな声で「立派な家だったと思うわ」と声を上げる。作ることを知る人だからこそ、元を想像できる言葉だった。「うわぁ……」と声を漏らしながら大切そうに触り、愛おしむ。彼女は責任者に廃材を譲ってもらえるよう頼む時に、「ちゃんと拝むので」と言っていたのが印象的だった。結局は燃やされる瓦礫なのでもちろん社長は了解するが、自身も被災したからこそ、残されたモノの重みを感じているのだろう。こうして福島と奈良の木材を合わせた家具を制作することになった。
外れかかっている取っ手もあえて修理せず残すことにした。あの日、あの時間を刻印したモノだから。
これらの家具が完成される映像はない。しかし夫婦の「木ってすごい。しっかり生きて呼吸している」「ゴミだけどゴミじゃない。これだけ人を喜ばせるんだから」という言葉を聞けば、この新しいコラボレーションも誰かの心に届くことは確信できる。
リサイクルを追った今回の番組には、震災後の生き方を問われているような気がした。
(文=松江哲明)