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『麒麟がくる』でユースケ・サンタマリアが演じた朝倉義景が朝倉家を滅亡させたワケ

文=菊地浩之
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戦国時代の武将、朝倉義景画像(心月寺所蔵)。越前朝倉氏第11代にして最後の当主。(画像はWikipediaより)

 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でユースケ・サンタマリアが快演していた朝倉義景が、昨年12月13日放送回でついに死去した。そもそも朝倉家ってどんな存在だったのだろう。

但馬国(兵庫県)から出て、足利尊氏挙兵に馳せ参じ斯波氏傘下へ、越前国(福井県)で出世の端緒をつかんだ朝倉家

 朝倉家は日下部(くさかべ)氏の末裔で、但馬国(たじま/兵庫県北部)朝倉庄の出身だという。鎌倉幕府の有力御家人・足利尊氏が丹波国篠村(たんば・しのむら/京都府亀岡市)で挙兵した時、朝倉広景(ひろかげ)は隣国・但馬から馳せ参じ、足利一族の斯波高経(しば・たかつね)の傘下に組み入れられた。

 室町幕府ができると、斯波家は越前(えちぜん/福井県東部)、尾張(愛知県西部)などの守護大名に任じられた。朝倉家は斯波家にともなって越前に移り、足羽(あすわ/福井市)庄など数カ所の荘園の代官職・地頭職をあてがわれた。

 守護の下には守護代というナンバーツーがおり、斯波家の場合は甲斐(かい)家、織田家だった。朝倉家はまず甲斐家と婚姻関係を結び、次いで織田家と結んだ。織田家はもともと越前の織田劔(おたつるぎ)神社の神官だったが、斯波家に仕え、守護代になったのだという。

 朝倉家景(いえかげ)の姉妹が織田久長(ひさなが)に嫁ぎ、氏景(うじかげ)の妻が織田孫左衛門尉(まござえもんのじょう)の娘だというが、両者の関係はわからない。信長以前の織田家系図は混乱しており、信長の曾祖父が織田良信(すけのぶ)であることはほぼ間違いないのだが、その先は不詳であり、掲載の系図は一部想像である。

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朝倉家・織田家周辺の家系図(一部想像もあり)。

中興の祖・朝倉孝景の活躍により越前の守護へと駆け上がる朝倉家

 家景の子・朝倉孝景(たかかげ/1428~1481年)は、祖父にならったのか、初名を教景(のりかげ)といい、のちに斯波義敏から偏諱を受けたようで敏景(としかげ)と改名し、のちに義敏と対立したことから教景と改名、さらに孝景と名乗った。なんでそんな紛らわしいことをするのかなぁ。しかも、子どもに2人の教景がおり、曾孫が孝景という面倒臭さである。

 この孝景が、朝倉家中興の祖といってもいい人物である。

 応仁・文明の乱が起こり、足利将軍家、斯波家、畠山家などの有力守護大名が、細川勝元(かつもと)率いる東軍と山名持豊(もちとよ/号・宗全)率いる西軍に分かれて11年間も争った。

 この応仁・文明の乱の前哨戦で、朝倉孝景は西軍・斯波義廉(よしかど)軍に属し、縦横無尽の大活躍を遂げた。そこで、東軍の将軍・足利義政、管領・細川勝元は孝景を東軍に寝返らせ、文明3(1471)年に孝景を越前守護に任じた。

 越前守護に任じられたといっても、「ハイ、そうですか」と越前国内が納得するわけがない。孝景は旧主・斯波家と攻防を繰り広げたが、その途中で死去。孝景の子・朝倉氏景(うじかげ/1449~1486年)の代になって、ようやく越前を平定した。ここに至って、斯波家は越前統治をあきらめ、尾張に逃亡した。

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NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、ユースケ・サンタマリアが朝倉義景を快演していた。(画像はNHK『麒麟がくる』公式サイトより)

他国の守護代・守護と姻戚を結び隆盛するも、他家の内紛に巻き込まれていく朝倉家

 朝倉家はそれまで斯波家中の甲斐家・織田家と婚姻を結んでいたが、氏景の子・朝倉貞景(さだかげ/1473~1512年)は美濃(みの/岐阜県南部)守護代の斎藤家と婚姻を結んだ。美濃守護・土岐(とき)家は応仁・文明の乱で在京して戦い、美濃国内は斎藤家が掌握していた。斎藤家は京都の公家とも婚姻関係があり、朝倉家は京文化になじんでいく。

 貞景の子・朝倉孝景(たかかげ/1493~1548年)は京文化への憧憬が強く、京都からしばしば公家や文化人を招き入れ、和歌や蹴鞠(けまり)に上達した。このことは朝倉家の声望を京都や近隣諸国に広める契機となった。孝景は若狭(わかさ/福井県西南部)守護・武田家の娘と婚姻を結び、姉妹を美濃守護・土岐家に嫁がせた。守護代クラスから守護と対等に婚姻関係を結ぶまでに、朝倉家のステータスがランクアップしたということだろう。

 しかし、他国の守護との婚姻関係は、他家の内紛に巻き込まれるリスクを孕んでいた。

 隣国・美濃で土岐家や斎藤家の内紛が続くと、朝倉家は両家との婚姻関係から軍事介入を余儀なくされる。永正14(1517)年に土岐次郎(頼武/もしくはその子・頼純)は土岐頼芸(よりのり/『麒麟がくる』では尾美としのりが演じた)と戦って敗れ、斎藤利良とともに朝倉家を頼って越前に逃げ延びた。孝景は弟・朝倉景高(かげたか)に3000の兵を預けて、土岐次郎の美濃復帰を支援した。

 これに対し、土岐頼芸は斎藤道三(利政/『麒麟がくる』では本木雅弘)と組んで美濃を平定し、守護の座に就いた(斎藤道三は守護代・斎藤家の一族ではなく、父は京都北面の武士・松波氏で、日蓮宗の僧侶から還俗して西村、長井の苗字を与えられ、道三が斎藤の苗字を与えられたという)。

 天文13(1544)年、朝倉孝景は甥・土岐頼純(『麒麟がくる』では矢野聖人)の要請で、大叔父の朝倉宗滴(そうてき)を美濃に差し向け、織田信秀(『麒麟がくる』では高橋克典)とともに稲葉山城(現・岐阜城)の斎藤道三を攻めたが、敗北に終わった。

 さらに、丹後・一色家の守護代が主家を圧倒し、余勢を駆って若狭に攻め込むと、若狭守護・武田家が孝景の妻の実家であることから、朝倉家は幕府の要請で武田家支援に出兵することとなる。

 朝倉家は越前国内の支配を盤石に固め、隣国に派兵できる有力者になっていたのだ。

 12代将軍・足利義晴は京都で政権を維持することができず、近江(滋賀県)に待避すると、隣国・越前の朝倉家にも出兵を促し、その代わりに朝倉孝景を御相伴衆(ごしょうばんしゅう)に列した。つい数十年前まで守護ですらなかった朝倉家が、将軍家直臣となったのである。

信長に敗れ、一向一揆に敗れ、ついに朝倉家滅亡す

 孝景の子・朝倉義景(よしかげ/1533~1573年)は初名を延景(のぶかげ)といい、のちに将軍・足利義輝から偏諱を賜って義景と改名した。永禄8(1565)年にその義輝(『麒麟がくる』では向井理)が殺害され、弟の覚慶(のちの足利義昭/『麒麟がくる』では滝藤賢一)は大和(奈良県)興福寺から近江・若狭に逃げ落ち、翌永禄9年に朝倉家を頼って越前に入った。

 しかし、誇り高く文化に親しむ反面、優柔不断な朝倉義景(『麒麟がくる』ではユースケ・サンタマリア)の腰は重かった。やっと上洛しようとする永禄11(1568)年6月、嫡男・阿君丸(くまぎみまる)7歳が死去。悲嘆に暮れる義景を横目に、翌月に義昭一行は織田信長(『麒麟がくる』では染谷将太)の支援を得るべく美濃に移ってしまった。

 朝倉家は、織田家を下に見ていたようである。

 朝倉家の家紋は三つ盛木瓜(みつもりもっこう)と呼ばれ、朝倉家が使っていたため、北陸地方では木瓜紋が多く使われているという説があり、織田家の五葉(ごよう)木瓜もその影響だという説がある。つまり、織田家は朝倉家に倣って家紋を決めるような家系だと認識していたともいえる。そんな織田家が義昭を奉じて上洛したのが許せない(お前がやらなかったからだろう)。

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織田家の家紋五葉木瓜は、朝倉家の家紋の影響とも。織田家は朝倉家に倣って家紋を決めるような家系だと認識し、朝倉家は織田家を下に見ていたのかもしれない。

 信長も朝倉家を快く思っておらず、元亀元(1570)年には早々に両者が激突。姉川の合戦などで一進一退を繰り返した。天正元(1573)年に足利義昭・浅井長政の要請で朝倉義景は近江に出兵するが、信長の2万の軍勢を前にして越前に退却。そこで、信長は余勢を駆って越前に進撃。義景は逃げ落ちたが、従兄弟の朝倉景鏡(かげあきら/『麒麟がくる』では手塚とおる)の裏切りに遭って自刃した(朝倉家滅亡その1)。

 信長は投降する者には比較的寛大なところがあり、義景の死後、景鏡など朝倉一族・重臣に越前を分割統治するように命じたが、翌天正2年に大規模な一向一揆が起こり、景鏡など主立った者が討ち死にした(朝倉家滅亡その2)。

 徳川家の家臣に朝倉を名乗る者がおり、越前朝倉家の末裔を騙っているのだが、それは大嘘つきであろう。朝倉宣正(のぶまさ)が、三代将軍・家光の弟である徳川忠長(ただなが)の家老として遠江掛川藩2万6000石を賜ったのだが、忠長の改易とともに所領を召し上げられ、支流が旗本として存続した。
(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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