このホテルに泊まった作家の故・山口瞳さんは、客の満足を極限まで追求する理想主義に感じ入りつつも、「でも収支が合うのかな」と思ったと『新東京百景』(新潮文庫)に書いている。
ホテル西洋銀座の知名度を上げた立役者は、田崎真也氏(54)だろう。77年、19歳の時に単身で、ワインの本場フランスに渡った彼は、パリのワイン学校のアカデミー・デュー・ヴァンへ通い、本格的なソムリエへの道を歩む。87年にオープンしたホテル西洋銀座へシェフ・ソムリエとして入社。95年に第8回世界最優秀ソムリエコンクールで、日本人として初めて優勝し、ソムリエという職業を世間に知らしめた。
その後、セゾングループはバブルの崩壊とともに、覆い隠されていたワンマン経営の負の部分が噴出した。大きな利益が見込めるということから絵画ビジネスにのめり込み、許永中が仕掛けた戦後最大の経済事件といわれたイトマン事件のスキャンダルに巻き込まれる。セゾングループの高級美術品店・ピサから依頼を受けたイトマンがロートレック・コレクションを購入したのをきっかけに、許永中の錬金術に絡め取られていった。
セゾングループ全体で1兆円を超えていた借入金が表面化した91年、清二氏は引責辞任。経営の表舞台から消えた。
その後、巨大な流通企業体だったセゾングループは解体。グループの本丸である西武百貨店は06年6月、セブン&アイ・ホールディングスに売却された。セブン&アイは10年12月、利益を稼ぎ出せずにいた有楽町西武に見切りをつけて閉店した。
ホテル西洋銀座は、00年3月に東京テアトルの傘下に入った。今回、同ホテルが入居する銀座テアトルビルを178億円で売却するのに伴い、13年5月にホテルの営業を終了する。買った相手がホテルの継続を望んでいないということだ。清二氏の夢の跡をとどめていた西洋銀座は、静かに消えることとなった。
学生時代、共産党の闘争方針に共鳴して、父親である西武グループの創始者・康次郎氏に勘当された清二氏は、経営者としては異端だった。東大時代の学生運動の同志である故・安東仁兵衛氏(98年に70歳で死去)との交友は特に有名で、60年の安保闘争後、安東氏が創刊した構造改革派の理論誌「現代の理論」の資金スポンサーとなり、同誌に寄稿などもした。