米WTI原油先物価格は今年に入り、1バレル=50ドル台前半で安定的に推移している。昨年の原油価格は米国とイランの対立が激化したことで1月に1バレル=65ドルまで上昇したが、コロナ禍により4月にはマイナス40ドルまで急落、その後原油価格は徐々に回復したものの、その変動幅はリーマンショックが起きた2008年(1バレル=147ドルから32ドル)に次ぐ大規模なものだった。
コロナ禍による需要減が引き続き懸念されている原油市場で価格下支えの役割を果たしているのは、サウジアラビアである。OPECとロシアなどの産油国(OPECプラス)の減産幅は今年初めから少しずつ縮小することになっているなか、サウジアラビアは1月初めに「2月から3月にかけて日量100万バレルの自主的な追加減産を行う」ことを決定した。これにより実質的な減産強化となったことから、原油価格は1バレル=50ドル台前半を保っているが、サウジアラビアなどが望む原油価格は1バレル=60ドル台半ば以上である。だが国際通貨基金(IMF)などの今年の原油価格の予測は1バレル=50ドル台前半であり、「減産による原油価格のさらなる上昇」というシナリオは描きにくい状況にある。
米調査会社ユーラシア・グループは1月4日、21年の世界の「10大リスク」を発表したが、第8位に「原油安に打撃を受ける中東」がランクインしている。
大幅減産を実施しているにもかかわらず原油価格が思うように上がらないことから、サウジアラビアの財政は「火の車」である。財政赤字を穴埋めするため、付加価値税の大幅引き上げなどを実施したことから、国内経済も急速に悪化している。特に深刻なのは雇用情勢である。サウジアラビア政府は、昨年12月後半に予定されていた20年第3四半期の失業率の公表を4回にわたって延期している(1月22日付ブルームバーグ)。「分析にさらに時間が必要」と説明する当局だが、昨年第2四半期の失業率が過去最悪の水準(15.4%)となっており、当局が慎重にならざるを得ない事情が透けて見える。人口の過半を占める若年層への雇用機会の提供が遅々として進んでいないことは、「ビジョン2030」を掲げ脱石油改革を目論むムハンマド皇太子にとって「悩みの種」である。
ムハンマド皇太子の悩みは、これにとどまらない。自らの最大の庇護者だったトランプ氏が米国大統領の座から去ってしまい、バイデン新政権の下で早くも逆風が吹き始めている。上院の外交委員長にサウジアラビアへの武器輸出に批判的な民主党議員が就任する予定であり、国家情報長官に任命されたヘインズ氏は「2018年に起きたサウジアラビア人ジャーナリスト・カショギ氏暗殺事件に関する文書の機密扱いを解除する」と発言している。
英ガーデイアン紙は「文書の機密指定の解除は、カショギ氏暗殺事件の責任者はムハンマド皇太子であることを米国が正式に認めることを意味する」と報じている。サウジアラビア政府はロビイストを大量に雇い、バイデン政権との良好な関係構築に努めているとされるが(2020年12月16日付ZeroHedge)、成果は出ていないといわざるを得ない。
サウジ、テロや軍事攻撃への警戒高まる
バイデン政権との間に「すきま風」が吹き始めている最中の1月23日朝、サウジアラビアの首都リヤドで大きな爆音が轟いた。この爆発はサウジアラビアの防衛システムが、飛来してきた無人攻撃機(ドローン)を破壊したことによるものとされている(被害の有無は不明)。サウジアラビアが隣国イエメンの内戦に軍事介入して5年以上になるが、このところサウジアラビアの大規模空爆に対して、イエメンの反政府武装組織フーシ派がイランの支援を受けてドローンや弾道ミサイルなどでサウジアラビアに反撃するという構図が定着していた。
1月中旬にも同様の動きがあったが、23日の攻撃についてフーシ派は自らの関与を否定している。翌24日イラクの民兵組織の一つ(詳細は明らかになっていない)が「今回のドローンによるリヤド攻撃はイラクの首都バグダッドでテロ組織ISISが起こした爆弾テロに対する報復である」との声明を発表した。バグダッドでは21日、ISISの自爆テロにより32人が死亡する事案が発生しているが、声明を発表した民兵組織は「自爆テロ事件の背後にサウジアラビアがいる」と考えているようだ。その後もバグダットでテロが続いているからだろうか、リヤドでは26日に再び対空防衛システムが作動し、リヤド国際空港上空の航空機の飛行が停止される事態となっている。
サウジアラビア以上にイラクの経済状況は悲惨である。極度の資金難に苦しむイラク政府は1月25日、IMFに60億ドル規模の緊急支援を要請し、経済の苦境を理由に6月に予定していた総選挙を10月に延期することを表明した。19年10月に始まった大規模な反政府デモの参加者は総選挙の早期の実施を強く求めており、この公約が反故になれば、イラク国内が再び騒乱状態となり、イランなどの支援を受ける民兵組織のサウジアラビアへの攻撃が続く可能性がある。
そのような事態となればサウジアラビアも黙ってはいられない。イエメンに加えイラクへの軍事介入という選択肢も視野に入ってくるが、OPEC第1位の生産国であるサウジアラビアと第2位の生産国であるイラクの関係がきな臭くなれば、原油価格が高騰するのは必至である。原油価格が急騰すれば、インフレ懸念から中央銀行は引き締めモードにならざるを得なくなるが、思い起こされるのは、リーマンショックの2カ月前(08年7月)に起きたWTI原油価格の1バレル=140ドル超えである。
株式市場の高騰を嫌気した投機マネーが原油市場に流入したことが要因とされているが、「原油価格の高騰がなければリーマンブラザーズは破綻しなかった可能性があった」との指摘がある。
中東地域における新たな地政学リスクの出現は、コロナ禍で生じた世界規模のバブルを崩壊させる一因になるのではないだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)