「先代が、広めし庭を我すぼめ、心で詫びて、泣く木枯らしや」
3月1日に発行された六代目山口組の機関紙「山口組新報」12号で、六代目山口組二代目岸本組・清水武組長が詠んだ短歌である。
当時、六代目山口組と神戸山口組が並行する真っ只中にあって、清水組長が詠んだ句が多くの極道たちの心をついたといわれていた。それは神戸に本拠を置き、その動向が幾度か取り沙汰される中で、六代目山口組への残留を決めた清水組長に、さまざまな思いがあったのではないかと察せられたからだ。
その清水組長が11月15日に、極道人生に幕を下ろした。晩年は体調を崩し気味だったといわれる中で、六代目山口組の恒例行事となったハロウィンでは、重い身体にムチを打ち、病である様子を微塵も見せることなく、子どもたちにお菓子を笑顔で配っていたという。
山口組が3つに分かれ、抗争の激化を不安視する近隣住民に対し、その不安を少しでも和らげるために積極的に参加していたのではないだろうか。筆者は勝手ながら、そういう姿に任侠を感じてしまう。
筆者が現役時代、所属する親分の名代で、岸本組本部で開催された阪神ブロック会議に参加することがあった。その席上でも清水組長は終始、朗らかな表情を浮かべ、他の親分衆らと談笑していた。またある時は、公用で岸本組にお邪魔した際、著者に対し、「くれぐれも組長によろしく言うとってや」と柔らかな口調で接してくれた。そんな出来事がつい先日のように思えてならない。
任侠山口組本部長補佐が除籍に
清水組長が他界する数時間前。一方の神戸山口組では、8日に行われるはずだった定例会が、神戸市二宮にある神戸山口組事務所で開催された。この日は第3水曜日。毎月執行部会を開催していたのが第3水曜日だったのだが、今回はその11月15日に定例会が行われた。これまでの定例会開催場所だった俠友会本部事務所が10月末に閉鎖したことも今回の日程に関係しているかもしれない。そんな中、注目された定例会であったが、詰めかけた報道関係者によると、近隣住民に配慮した動きはあったものの緊迫した空気はなかったという。
「定例会では、お歳暮の禁止や12月20日から1月8日まで正月休みに入ることが通達されたと聞きます。時節柄、近隣住民の迷惑になるようなことはしないようにとの注意も促されたのではないでしょうか」(実話誌記者)
そして任侠山口組でも同日、動きがあったと関係者らが語っている。新たな直参がこの日に誕生したというのだ。
今回昇格を果たしたのは、16年の刑期を務めあげた、任侠山口組古川組組長代行の高橋組・高橋輝吉組長だという。直参昇格と同時に、組織名も「真 高橋組」に改名したことが同時に通達されたようだ。
「高橋組長が16年の刑期を務めることになった組織内の組事(同組内の元有力幹部に向けての制裁)では、無期懲役の判決を受け、現在も務めている人物がいるほどで、まさにジギリ(組織のために身体を張り、長期服役を余儀なくされること)を賭けた人物だ」と関係者らは口にしている。
そうした一方で、任侠山口組本部長補佐の要職を務めていた山健同志会・久保真一会長が、任侠山口組を一旦除籍となったことが発表されたようだ。だが、その理由は明らかにされず、「コンプライアンス上、詳細は割愛する」との内容だったという。これについてヤクザ事情に詳しいある法律家は、このような見解を示している。
「一般企業が暴力団との交際を断つ際にコンプライアンス(法令遵守)という言葉を使うことがありますが、ヤクザサイドが『コンプライアンス上』という言葉を使うのを初めて聞きました。これも任侠山口組がかねてから掲げている『脱反社』を念頭に置いた取り組みのひとつなのかもしれません」
山健同志会会長の後任としては、二代目織田興業の紀嶋一志組長が会長代行として組織を牽引していくという。
それぞれの山口組でさまざまな出来事があった11月15日。今後の展開にますます関心が集まるのではないだろうか。
(文=沖田臥竜/作家)