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幸福の科学が私に与えた暴力…見学ツアーに警告文「貴殿自身の永遠の生命を自ら危機に」

文=深笛義也/ライター
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「肖像権を侵さないでください」

 12月7日は、幸福の科学による「エル・カンターレ祭」が幕張メッセで開かれる日でもあった。幸福の科学において、地球神を表すエル・カンターレは、大川隆法その人であるとされている。

「エル・カンターレ祭がある日になんてことしてくれるんだと言うのですが、幕張と白金は何十キロと離れています。礼拝所不敬罪とか、説教等妨害罪とか、いろいろ並べ立ててくるのですが、なんの妨害もやりようがありません」(同)

 集まった8人の報道陣は、大悟館に向かった。白い洋館の正面にはギリシャ神話に登場する青年神ヘルメースの像がある。マンション建設反対の横断幕も掲げられている。ボックス内の警備員があたふたしている様子が見え、10人ほどの信者が現れた。幸福の科学での宗教的意味を持つのであろう、お揃いの細長い黄色いスカーフをつけている。大悟館にカメラを向けるとその前に立ちはだかる。

「肖像権を侵さないでください」

「あなたたちがカメラの前に立つから、写っちゃうんですよ」

「神聖な場所なんで、写真を撮らないでください」

 筆者もさまざまな経験をしてきたが、世界のどこでも宗教施設の外観を撮ることをとがめられたことはない。たいていの宗教施設は、異教徒でも畏怖せざるを得ないものを造ろうという意気込みで建てられるものであり、撮影し広めることはむしろ歓迎される。敷地内で建造物を撮るのも自由だし、内部の撮影ができる場合も少なくない。我々は公道から撮ろうとしているのだ。

「取材なら許可を取ってください」

「公道から建物を撮るのに許可は必要ありません。伊勢神宮なら許可なく社殿を撮ることができますよ」

「伊勢神宮なんかと違います」

 かまわず撮影を続けていると、信者のひとりが我々に向かって紙を広げる。

「藤倉さんって、こんな格好している人なんですよ」

 ヘルメットに手ぬぐいで覆面した集団の写真だ。

「これって昔の過激派のコスプレですよね。けっこうやってる人いるし、普通ですよ」

 その信者は、ボックスの警備員に向かって叫んだ。

「警察呼んだか!?」

 なんの違法行為もしていないのに、警察が来て何をするのか? さらに貴重な場面が撮影できるかもしれない。

「そろそろ帰ろうと思ったけど、警察が来るなら、いないとしょうがないですね。逃亡するわけにはいかないから、待ってないといけないですね」(参加者)

 メディア関係者が「警察来るんですよね?」と念押しすると、「来るかどうかわからない。警察呼んだかって訊いただけだ」と信者は答えた。

 一旦その場を離れ住宅街を回り、大悟館の別の側へと出る。巨大な金色の仏陀像が、壁面にはある。「大川」という小さな表札もある。こちら側が正面なのだ。信者たちは相変わらず我々の前に立ちふさがる。信者たちのなかに、清水富美加出家の記者会見を行なった、里村英一・幸福の科学専務理事がおり、やはり記者会見を行った佐藤悠人・顧問弁護士がスカーフ抜きのスーツ姿でその場にいたことを、藤倉氏が伝えてくれた。

妨害活動

 こうした過剰反応というのはたびたびあるのか、藤倉氏は語る。

「2012年の衆院選で、大川隆法さんが立候補はしませんでしたが、街頭演説に出てきました。『この選挙に勝たないと日本が滅びる』みたいな霊言を降ろして信者を煽って、『死にたくなかったら幸福実現党へ!』という演説をしていました。僕がそれを取材に行った時、公道で演説しているのを公道から写真を撮ろうとしているのに、5~6人に取り囲まれて、体とかカメラを掴まれて、完全な暴力で妨害されました。

 15年には高校野球の栃木県大会で、幸福の科学学園の野球部が作新学院と当たったので、これは好カードだと思って、高野連に取材申し込みをして、取材者の腕章つけて球場行きました。幸福の科学学園のスタンドに入って行った途端に、学園の職員たちがワーッと飛びかかってきて、『許可してません!』って叫んで、僕のことを金網にガーッと押しつけてきました。高野連の許可取っているし、『あなたたちの球場じゃないだろう』って思いましたよ」

 白金の街には、他にも幸福の科学の施設が多い。町中に「ご自由にお取りください」と幸福の科学のパンフレットがあった。和田アキ子、宮沢りえ、ダイアナ元皇太子妃、金正恩の霊言などを、最近の隆法総裁は語っているようだ。

幸福の科学と信者

 どうしてこれで信者が集まるのか、藤倉氏は語る。

「それでも最初期は、日蓮や孔子、ソクラテス、生長の家の教祖の谷口雅春、GLAの教祖の高橋信次など、名のある人たちの霊を呼んだとして喋っていました。これが霊言かどうかは置いておいたとしても、結果として出されたメッセージが素晴らしいということで、それを勉強したいという意識で集まってきた人はけっこういました。もともと生長の家やGLAの信者だった人が、そうした教団が衰えてくるタイミングで幸福の科学が出てきて、その教祖の霊言と称するものがあって、それで流れていったということも多かったです」

 幸福の科学の発祥は、1986年。91年にフライデー事件が起きる。講談社の週刊誌「フライデー」が、幸福の科学を批判する記事を連載したのだ。これに対して幸福の科学は、講談社に対して数百人規模のデモをかけ、手紙や電話、ファクスによる抗議行動を行った。それは講談社の通信機能が麻痺するほどに執拗なものだった。

「攻撃的なことをやるのが好きじゃない信者や、静かに宗教を勉強したいという信者は多かったようで、かなり信者が去り、財政危機に陥ったといわれています。その後、当時の隆法の妻・きょう子さんの手腕で財政的には回復し、信者も増えたようです」

 だが、2012年に大川隆法はきょう子氏と離婚。それまで「愛と美の女神」「アフロディーテ」と讃えられていたきょう子氏は離婚後、「裏切りのユダ」と隆法から罵られることになる。隆法は30歳年下の女性信者と再婚した。

「隆法総裁が生きている人の守護霊を呼んだり、政治家や学者、芸能人の霊言を呼ぶようになったのは、幸福実現党をつくった09年頃からです。それを見て信者が入って来ているということはほぼないとみています。私は12年までは取材拒否されていなかったので、地方へ行ったついでに支部に行って信者と話したり、イベントに参加したりしていたのですが、そのなかで09年以降に入ったという信者はひとりだけでした」

 ちなみにきょう子氏は11年、「週刊新潮」(新潮社)で当時幸福の科学が1100万人だとしていた国内信者数について、実働信者は3万人程度であるなどと述べ、幸福の科学は新潮社を提訴。13年に出された東京地裁の判決では、記事の一部を真実ではないとして新潮社と社員に対して30万円の支払いを命じた一方、「公称信者数は、海外を含めてであるが1200万人という、原告の状況からしてやや信じがたい内容になっており(略)、信者数を水増しする行為があったのではないかとの疑いは生じる」「いわゆる信者の実働人数は3万人程度であったにもかかわらず、隆法が信者数を13万5000人と誤解していたことが認められる」としている。

 現在の幸福の科学の正確な信者数も含め、その実態への興味は尽きない。
(文=深笛義也/ライター)

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