「集団生活ですので、人に迷惑をかけないということが一番。そして、わがままも言わない」――いったい、どの口が言っているのか。
自分の誕生日祝いとして、高校生の部員全員から1人5000円ずつ、合計14万5000円を受け取ったとして解雇された、愛媛県の帝京第五高校・元剣道部総監督は、とあるインタビューでこのように語っていた。
社会人となったOBに寄付を募るならまだしも、稼ぎのない学生から5000円ずつ集める教育者など、お目にかかったことがない。生徒たちが感謝の意を表して自発的に行うならまだしも、半ば強制的な集金が数年にわたって行われていたという。教育者として最低である。
「後輩には出させない」無言のルール
筆者は中学・高校と6年間、剣道部で汗を流していた。当時の監督は厳しかったが、私が週に1~2回のアルバイトに行くときは、黙って部活を休ませてくれた。
「後藤、バイトをするのはなぜだ?」
「竹刀と防具を買いたいんです」
こう返答すると、土曜日と日曜日は休ませてくれた。筆者がキャプテンやレギュラーであれば許してくれなかったかもしれないが、次鋒候補の7人目(剣道の団体戦は先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人1組)だったこともあり、見過ごしてくれた。
当時、野球部員は冬休みになると年賀状配達をして部費を稼いでいた。県立高校で活動資金に乏しく、1、2年生の部員全員でバイトをするのだ。野球部の監督は自らの給料からいくらかを部費に回し、同僚の先生方から数千円ずつカンパをしてもらっていたとも耳にした。
筆者は大学生になり、別の体育会系部活に所属した。後輩を引き連れて酒を飲みに行く際の飲み代は、必ず先輩もちである。筆者のバイト代は後輩との酒代で消えていったが、「またバイトすりゃいい」と常に思っていた。基本的に、年下の後輩から金をもらうのは先輩として失格だと思っていたからだ。
当時の監督やコーチは厳しかったが、酒の席では無礼講で、飲んでも学生にはお金を出させなかった。「後輩には金を出させない」という無言のルールが、部内に存在したのだ。
そんな時代を過ごした筆者は今、草野球チームの監督をしている。チームメイトには社会人のほかに学生もいるが、部費を学生から徴収したことは一度もない。試合に来るのに交通費がかかるバイト学生から、1回1000円といえども受け取るのは非常識である。
「ユニフォームを買う金がないです」と言われたら、お古のユニフォームをタダで渡す。こうしたことは、お金を稼いでいる大人として当然である。学生からお金を受け取るなど、大人のすることではないのだ。
酒癖が悪かった“聖職者”の方々
だからこそ、この元総監督の行為にはため息が出てしまう。
組織の中でトップに立つと社会の空気が読めなくなるケースが多いが、おそらく元総監督も“裸の王様”だったのだろう。今の時代、自分の私利私欲で学生から集金などしたら、バレて批判されるのは目に見えている。結果として、総監督をクビになるのも当然だ。そうしたことがわかっていないのは、「権力がありすぎて」視野が狭くなっていたからだろう。
大学生のとき、筆者はパブスナックでバイトしていた。当時、集団で飲みに来ると酒癖の悪くなるお客様がいた。世間で“聖職者”と言われる職業の方々である。仕事のストレスが強いのか、飲んだときの騒ぎっぷりはすごかった。他の客にからんだり、酔いつぶれてトイレから出てこなかったり。挙げ句の果てに店員に「酒を早く持ってこい!」と命令するなど、全員が全員ではないが、ひどい酔い方だったことを覚えている。
お堅い職業ほど、飲むとハメを外す。それは今も同じなのだろうか。
(文=後藤豊/フリーライター)