(1)作者が、一人一人と契約書を取り交わすのが面倒であるため
曲がりなりにも、法律に穴を開けるのですから、基本的には法律用語を使った契約書を当事者間で取り交わすことが原則ですが、そんな面倒な手順で許諾を認めていたら、作者はたまったものではありません。
ですから、「私の条件を呑んでくれる人なら、誰でも許諾するよ」ということができるようにするために必要なのです。
これをツンデレ風にいうと「か、勘違いしないでよね。べ、別に、あなただけに許諾するんじゃないんだからね」という感じでしょう。
(2)作者が、作者を守るための法律(著作権法)に拘束されるのは奇妙な話であるため
前述の通り、「私のもの(著作物)に私が何を許そうと、私の勝手だろう!」ということです。ですから、著作権者は、原則としてどんなライセンスでも持てます。
例えば、PCLライセンスをリリースしているクリプトン社が「初音ミクの画像の利用は、『かっこいい男性』『可愛い女性』にだけ許諾する」と内容を変更しても、原則として可能です。実際にはしないでしょうけど。なぜなら、このようなライセンスでは大問題(「可愛い」「かっこいい」の客観的基準は、どうする? など)が起こるからです。
なお、かつて現実に「アパルトヘイト政策を行っている国家の警察への利用は禁止する」というライセンスが存在していました(註1)。
(3)その著作物(プログラムを含む<註2>)について問題が発生した時に、作者を保護するため
上記のいわゆる「バナナ園の主人の悲劇」などがこれに該当します。
また、(到底ありえない話ですが)例えば、私のつくったプログラムのソースコード(註3)を、原子力発電所のエンジニアが利用した結果、私のソースコードに記述にミスがあって、結果として原子力発電所に大事故を発生させてしまった場合、私はその事故の責めを負う可能性があります。ライセンスはこうした問題から、著作権者を保護する役目も持っています。
(4)ライセンスがない場合は、一般法(著作権法や特許法など)が適用されることにできるため
ひとことでライセンスといっても、さまざまな形式のものがありますが、共通して言えることは、「すべての問題を網羅するライセンス」なんぞがつくれるわけありません。六法全書の量でも足りないくらいのライセンスとなってしまいます。ですから、ライセンスは「してはならないこと」でなく、「してもいいこと」、つまり「穴」のほうを記載するのです。
●ライセンスの問題点について
ライセンスに関しては、私の周りで気がついたことだけでも、以下のような問題点があります。
(1)正しく記載されない
例えば、私の執筆した連載コラムは、色々なニュース媒体等に転載されているようです。多くの場合、その文末に「著作権は株式会社サイゾーに属します。(c)2013 CYZO Inc. All rights reserved.」との記載がありますが、私はこのフレーズを見る度に、困惑してしまうのです。なぜなら、私は私の著作権を株式会社サイゾーに譲渡してはいないからです。
では、この記載は、株式会社サイゾーによる悪意のある虚偽表示かというと、それも違うと思っています。
「著作権のうち、株式会社サイゾーによるWebによる公開の権利、または、株式会社サイゾーと提携している法人に対する当該権利の再許諾の権利については、著作権者である江端智一から許諾を受けており、当該使用許諾に関しては、株式会社サイゾーに属します」という文章の文頭と文末だけを表記した記載となっているものであると理解しています。しかし、ライセンスが正しく表記されていないことは確かなのです。
(2)面倒くさい
私は、株式会社サイゾーに対して、上記のように正確に記載にしてほしいと要求することができますが、公式にそのような申入れはしていません。