教育委員会も文科省頼み
――教育委員会には独自性が認められています。
中井 学校と同じです。やはり、独自の判断が下せない構図になっています。しかし、親やマスコミも同じです。たとえば、「いじめ問題」が起こった際、学校よりも、まずやり玉に挙がるのが文科省で、「文科省は何をやっている」と突き上げがあります。本来は、その学校の校長を問題にしなければなりません。これは教育の関係者だけの問題ではなく、マスコミも文科省のほうを向いています。ですから、教育問題で明らかになっている、“上向きで指示待ち”になっているのは、マスコミも世間も含めてすべてが同じなのではないですか。
――これからも、この程度の事象でいちいち文科省が通知を出さなければ何も決まらないのでしょうか。
中井 そうですね。「置き勉」をするかしないかの見解を示すことは、文科省の仕事ではありませんが、文科省が動かなければ教育委員会が見解を示すことができないので、関係者はホッとしているでしょう。今後ともこのような学校関係の事象で通知が出される例はあるでしょう。
――「置き勉」しなければならないほど、勉強道具などは重いのですか。
中井 この20年のゆとり教育の時点で、教材を減らしていきました。そこで学力低下論争が起こり、再度学習教材も厚くなり、量が増えてきました。その結果、教材は重くなりました。そして、重くなったから「置き勉」を認めましょうということになりました。世間から学力低下していると突き上げられると、「わかりました。教材を増やします」となり、「教材が重い」と批判があると「置き勉を認めます」となったわけです。つまり、文科省には方針の一貫性がないのです。今回、「重いから置き勉でいいでしょう」というのは表層的なとらえ方です。結局、「ゆとり教育は是か非か」の総括までいかないと、あまり意味がないのです。
――昔は“熱血先生”が職員会議で周囲を動かし、学校を変えていくといったドラマがありましたが、あのようなことはもうないのでしょうか。
中井 今、熱血先生が存在できなくなっています。学校に対する管理が全体として強まっています。それは厳しくなる傾向にあります。以前は職員会議に力があって、みんなの意見をまとめて管理職に対抗する力がありましたが、今は管理職に逆らうと、すぐ問題になります。また、必ずしも職員会議を開催しなくてもよくなり、校長や管理職が一存で学校について決められるのです。そういう仕組みづくりが進展しているため、熱血先生が学校の方針にたてつくことは困難となっているのが現状です。
――ありがとうございました。
(構成=長井雄一朗/ライター)