また、心愛さんへの影響も深刻だ。「ひみつをまもります」と明記されていたからこそ、勇気を振り絞ってSOSを出したのに、守られるはずの秘密が守られず、父親に知られてしまった。その結果、父親の暴力が以前にも増して激しくなれば、絶望感に打ちひしがれるだろう。
それ以上に深刻なのは、SOSを出しても無駄、いやそれどころか事態をさらに悪化させるということを学習し、SOSを出さなくなることだ。その結果、死亡という最悪の結末を迎えてしまった可能性も考えられる。そういう可能性に想像力が及ばなかったという点で、教育委員会は罪深いと思う。
自己保身
自己保身のためにアンケートのコピーを父親に渡した可能性も否定しがたい。もちろん、威圧的な言葉や態度に恐怖を感じ、自分の身に危険が及ぶのではないかと危惧したこともあるだろう。だが、それ以上に、上層部に直訴されたり、訴訟を起こされたりして面倒くさいことになったら困るという気持ちが強かったのではないか。
そういう面倒くさいことになれば、現在の役職や肩書を失いかねない。そのことへの恐怖が強かったからこそ、アンケートのコピーを父親に渡すとどういう反応をするかに想像力が及ばなかったのではないか。
もっとも、わが身を守るためにやっても、自己保身とは真逆の結果を招くことはままある。今回も、アンケートのコピーを父親に渡した行為は、情報公開条例違反に当たる可能性もあるらしく、野田市は関係者の処分を検討しているという。
“凡人”が“悪”をなす恐ろしさ
この事件では、母親も勇一郎容疑者と共謀し、心愛さんに暴行したなどとして、傷害容疑で逮捕された。暴行を制止しなかったことが共謀に当たるとみなされたようだ。母親は勇一郎容疑者からドメスティックバイオレンス(DV)を受けていた可能性があるとも報じられているので、恐怖のせいで思考停止に陥ったと考えられる。当然、夫の暴力を制止しないと、どういう事態を招くかに想像力を働かせることもできなかったはずだ。また、自分が夫からDVを受けないようにするため、つまり自己保身のために夫に同調したのだろう。
教育委員会の担当者にせよ、この母親にせよ、いわば“普通”の人である。そういう“普通”の人が最悪の結末を招くことに加担したわけだが、こういうことは誰にでも起こりうる。
しかも、“凡人”ほど、怖がりである。そのため、自己保身を考えるあまり、思考停止に陥りやすいし、想像力を働かせることもできない。本人は「怖かったから、仕方がなかった」と自己正当化するかもしれないが、それが結果的に“悪”につながりかねない。したがって、作家の米原万里の「悪は『まともさ』の延長線上にある。だからこそ恐ろしい」という言葉を肝に銘ずるべきである。
(文=片田珠美/精神科医)
【参考文献】
米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫、 2009年