性犯罪で無罪判決が続いたのはなぜかーー江川紹子が考える、被害者救済のために本当に必要なこと
国民が、司法の判断が適切かどうかを検証したり議論したりするためには、その内容を正確に把握することが必要だ。性犯罪の場合、被害者特定につながるような情報を伏せるなど、プライバシーへの配慮は格別に必要だと思うが、判決は、被告人に対し、司法権という国家権力が行使され、判断を下した理由が記された公文書だ。国民が、これにアクセスできない現状は、司法に関する適切な議論を妨げている、と思う。
せめて新聞は、判決を報じる時、紙面には限界があるだろうが、詳細をネットで伝えるなどして、裁判所の判断理由ができるだけ正確に伝わるように工夫してもらいたい。
変わりつつある刑事司法
ところで、それぞれの短い記事を読む限り、先に挙げた4事件のうち、A~Cは性行為があったことは争われていない。行為があったことを前提に、それに至る被告人の認識が問題になり、強制性交(かつての強姦)罪や準強制性交(同・準強姦)罪の「故意」があったとはいえない、という結論になっている。
これまでも、性犯罪の被害者やその代理人の弁護士などからは、被害者が相当に激しく抵抗し、それを抑え込む暴行・脅迫がなければ、被告人の「故意」が認められない刑事司法の現状は、被害者の状況を知らなすぎる、との批判がなされてきた。
性被害に遭った時に、B事件のように被害者が「頭が真っ白」になって抵抗できない状態になることは、しばしば報告される。C事件のように、長年虐待されてきた子どもが、抵抗する意欲さえ失い、虐待を甘受してしまう状況になることも同様だ。
私は、C事件の判決報道を読んで、最高裁が初めて、法律を違憲と判断した栃木の実父殺し事件を思い出した。
この事件の被告人A子は、14歳の時から、父親に犯される性的虐待を受けていた。母親は夫の暴力に耐えきれず、家を出た。A子は父親から陵辱され続け、5人の子どもを生んだ。仕事に出るようになって、A子は初めて恋をした。それを知った父親から激しい暴力を受け、監禁状態にされ、脅された。追い詰められた末に、彼女は父親を殺害した。
当時は、刑法に親や祖父母などの殺人を重く罰する「尊属殺人罪」の規定があった。尊属殺の場合、どんなに減刑しても、執行猶予がつかない。この事件で、最高裁は尊属殺の規定を違憲とし、通常の殺人罪を適用。事情を考慮して、執行猶予をつけた。
壮絶な性的虐待を受けながら、家から逃げ出すこともなく、追い詰められていったA子のような虐待被害者の心理については、すでに十分専門家による研究成果があるはずだ。検察は、それをC事件の裁判で、どの程度立証してきたのだろうか。
裁判は、検察側と被告・弁護側が、それぞれの主張や立証で裁判官を説得する作業だ。無罪判決は、検察側の立証不十分の結果ともいえる。ところが、判決の骨子しか伝わらない短い記事では、そうした経緯もわからず、実にもどかしい。
それでも、性犯罪に対する刑事司法の対応は変わりつつある。
2017年に刑法の性犯罪の規定が改正され、強姦・準強姦罪は強制性交・準強制性交罪となって法定刑の下限は懲役3年から5年となり、「無期懲役又は5年以上の有期懲役」だった強姦致傷・準強姦致死傷罪は「無期懲役または6年以上の有期懲役」へと厳しくなった。
この時に、次のような附帯決議がつけられている。
<被害者と相手方との関係性や被害者の心理をより一層適切に踏まえてなされる必要があるとの指摘がなされていることに鑑み、これらに関連する心理学的・精神医学的知見等について調査研究を推進するとともに、司法警察職員、検察官及び裁判官に対して、性犯罪に直面した被害者の心理等についてこれらの知見を踏まえた研修を行うこと>
性犯罪の被害者参加弁護人の経験がある弁護士からは、この時の議論や附帯決議が捜査実務に影響を与えている、という指摘もある。
<以前なら、警察が捜査せず、検察が起訴しないようなケースであっても、最近は警察が動き、検察が起訴することが増えているのではないか。これまで起訴されなかった件を検察が起訴する一方で、裁判所の判断の基準が以前どおりであれば、無罪判決は増える>(「テキーラで泥酔させられた女性と……性犯罪で不可解な無罪判決が相次ぐのはなぜか」文春オンラインより)
統計を見ても、たしかに検察が以前より性被害を積極的に起訴している兆しは見てとれる。