4月15日付当サイト記事『自衛隊トップ人事で大番狂わせ?海上幕僚長就任確実視だった山下元海将、ひっそり勇退の全真相』において、自衛隊高級幹部人事の裏側を紹介した。海上幕僚長就任は確実と目されていた山下万喜元(かずき)海将が、あまりにも優秀すぎるがゆえに、部下たちから敬遠されてしまい、結果として海幕長に就任することなく勇退したのだ。
自衛隊という組織の人事は、このように隊員たちの動きによって左右されるものなのかと、違和感を持つ向きもあるだろう。
そもそも人事とは、そこに所属している人たちがつくるものである。だが、これを覆すのもまた、人にほかならない。
“山下元海将外し”に奔走した将補、1佐クラスの人たちの間では、次に誰を持ってくるかについてはそれぞれ腹案が異なっていたが、「山下氏の海幕長就任はNO」という点では一致していた。とはいえ、内部でそんな声は上げられない。次の海幕長を誰にするか調整している間に、万一その動きが表面化すれば、自らの立場を危うくする。そこで彼らが頼ったのが「外の人脈」だ。
ともすれば「世間知らず」といわれる自衛官は、民間社会での人脈に明るくないと思われがちである。だが、防衛大学校卒業の幹部自衛官たちに限っては、必ずしもそうとはいえない。
そもそも、防大には進学校卒業生が集まっている。防大の偏差値は理系59、文系68(いずれもBenesse調べ)で、理系では地方の国立大、文系では旧帝大とほぼ同ランクといわれている。
そんな進学校出身である彼らの高校時代の同窓生には、国会議員、議員秘書、政党職員といった政治関係者をはじめ、大手新聞社や広告代理店に籍を置く人も多数いる。それに一般大学卒で入隊した幹部候補生同期入隊者を通した人脈も加えると、たとえ海自という組織の内々の決定に関しても、政治や世論を通して外から覆すことも可能だ。それは「場外乱闘」、あるいは「空中戦」と呼ばれる。
一部の幹部自衛官グループは、出身高校の同窓人脈を駆使して、政党関係者やマスコミ、意外なところでは労働組合関係者にまで接触し、山下元海将に「名提督」「名司令官」として勇退してもらう流れを形づくっていったといわれている。つまり、空中戦によって、就任が確実視されていた山下元海将を表舞台から引きずり下ろしたのだ。
「数多くの重要ポストを歴任し、組織は山下元海将ひとりに負担を強いている。かなりお疲れのはずだ。海自には、ほかにも人材がいる」というのが、そうした場で語られた“理由”である。
メディアの予想人事が当たらない理由
人事は、組織が内外に向けて発信する最大のメッセージだ。
そのため、事前に予想人事をメディアが報じるとわかれば、組織は全力でそれを阻む。報じられた予想人事がもし当たっていたならば、あえてそれを外し、新たに人事を練り直して発令することもしばしばある。それは自衛隊も例外ではない。
一方、記者は広報部などの公式ルートを頼らず、自らの人脈を駆使して“関係者”に直当たりする。そして、慎重に言葉を選んで記事化する。元全国紙経済部記者は、その実態をこう語る。
「メディアで人事予想記事が出ると、組織では、その名前が挙がった人を追い落とす動きが活発化します。穿った見方をすると、名前が出た本人やその周辺が猟官運動しているのかという見方もされます。また、なぜ人事が洩れているのかを、組織は当然調べます。そのため、記事の掲載はタイミングが非常に重要です」
すでに確定している人事であれば、メディアで報じられても変更される可能性は低くなるが、人事が検討中であったり、単なる“候補”にすぎない場合、名前が挙がることで「潰される」可能性すら出てくる。だが、なかには、あえて「潰す」ことを目的に記事化することもあるという。
もっとも、組織の側もこうした事情は先刻承知だ。そのため「役職に就いてほしくない」人物の名前を頻繁にアピールしたり、「この人であれば世間はどんな反応を示すのか」という“観測気球”目的で予想人事をメディア側に伝えることもあるという。その観測気球目的で流れた予想人事のハレーションがあまりにも強ければ、その人事は潰れることになる。
ネット上の書き込みが人事を左右することも
かつてはメディアのみで扱われていた予想人事だが、近年ではインターネット掲示板や個人のブログにまで及んでいる。意外にも、海自はこれらネット情報にも敏感だ。海上幕僚監部には、職務の一環として、海自関連の話題が書かれているネット掲示板や個人ブログをチェックしている名物事務官もいるという。海幕関係者が語る。
「今回に限らず、以前も海幕長人事を左右したネット上での書き込みがありました。そこに書かれている内容が真実かどうかは別にして、そうした話が表に出るということが組織としての関心事となっているのです」
海自のホープとして知られていた山下元海将は、自衛隊ファンの間でも「次期海幕長間違いなし」と言われていた。これも複数の幹部海上自衛官の間では話題に上ったという。
「名前の出た山下元海将サイドにすれば猟官目的で書かせているように見えるし、対立する人たちからすれば、『俺たちはどうでもいいのか』と気分を害する。士気に影響する。予想人事は、正直、誰も得しない。だが、率直に言っておもしろい」(同)
こう話す前出・海幕関係者は、予想人事で名前が挙がって潰される人事なら、それは結局のところ、本人がその程度の実力でしかなかったと切り捨てる。
近年、ほかに類を見ない「記憶に残る名提督」が制服を脱いだ。海自トップへと登り詰めることを期待されながら、結局、それが成らなかったことで話題となっている山下元海将だが、これがかえってその存在感を増す結果となった。
昭和、平成を象徴する将星が去った一方で、新時代の海自のトップには山村浩・元海上幕僚副長が就いた。自らの個性を決して出さず、「一度でも彼に仕えた者は、絶対的に自分をもっとも信頼してくれていると思ってしまう」(旧部下・2佐)、それでいて「どんな難題もきっちりこなし、手柄はすべて部下に譲り、上司を立てる」(海幕勤務・1佐)と評判の“情の提督”である。これが新時代の海自のトップだ。
(文=編集部)