6月27日、ツイッターで教育心理学者で大学教授の菊池哲平氏が呟いた投稿が注目を集めている。主な内容は「教育学部に進学してくる学生さんの多くは学校文化に適者生存した人たちなので、まずは自分の感覚の外側にある事柄に目を向けて、受け入れられる多様性の幅と深さを拡げることが大事と思うのだけど、これがなかなか難しい」というもの。
これには大きな反響があり、「教育学部出身の先生より、数学科や英語学科などの専門学部出身の先生のほうが詳しい疑問に答えてくれる」といった、教育学部の存在意義を疑問視するような声がリプライに寄せられることとなった。
そこで今回は、教育学部がどういう学びの場として機能しているのかや、教育学部出身の教員に多い傾向、さらには教育学部のこれからなどについて、話題のツイートを投稿した熊本大学大学院教育学研究科教授の菊池氏に話を聞いた。
教員を育てる学科である教育学部、メインに据えるのは小学校の教員育成?
まず、教育学部の特徴とは何か。
「教育学部というのは教員を養成するのが主目的の学部で、“目的養成学部”と呼ばれることもあります。また、伝統的に小学校や中学校教員の免許を取得するのが主になっていることも特徴です。これは、もともと教育学部が戦前の初等・中等学校教員の養成を目的とした師範学校から続く系譜だということも関係しています」(菊池氏)
とはいえ、教員免許は文学部や理学部といった他学部でも取ることは可能だ。
「教育学部の教員や学生は、そういった教員免許を取得できる他学部のことを“開放制学部”と呼んでいます。ただ、こうした開放制学部での教員免許取得は、中学や高校の免許に限られます。中学や高校の教員免許というのは教科別に分かれているので、所属しているのが国文学科の学生であれば必然的に国語の免許、つまり、その学科固有の教科を修学するからです。
一方で小学校の教員を目指すのであれば、基本的に『小学校教諭免許状』という免許を取らなければなりません。小学校では一部の教科を除きクラス担任が全教科を教えることになりますので、小学校教諭の免許を取るためには全教科を学ぶ必要があります。
しかし開放制学部では、その全教科を教えてくれる教授の数が揃っていませんので、小学校免許を取ることは現実的にできません。教育学部では小学校や中学校で教える教科の専門教授がズラッと揃っているので、教育学部に入れば小学校教員になるのに必要な全科目の履修ができるというわけです」(同)
ゼネラリストを育てる教育学部が与えてしまう、視野の狭さの問題とは
菊池氏のツイートへのリプライには「集団で見るのも大切だけど、そこから外れてしまう子へのフォローをしない人達が多く、教育学部の指導方針に違和感を感じた」という言葉もあった。これはどういうことなのだろうか。
「私のツイートの『適者生存』というのは少ない文字数で伝えるためにあえて使った言葉ですが、噛み砕いて言うと、イレギュラーではない“王道の教育スタイル”に深く慣れ親しんだ人ということです。
ちなみに私の専門は特別支援教育というもので、集団に馴染めない子や、学習につまずきが出てしまう子が対象なのですが、教育学部の学生で偏差値が高い人は、“勉強ができた自分”をロールモデルにしがちで、イレギュラーな教育に触れた機会が少ないのです。だから、学習障害のある子どもや発達障害の子どもの話をするとびっくりすることが多く、『そういう子どもが普通の学校にも一定数いるとは思わなかった』という感想を述べる学生もいるほどです」(同)
だが当然、そうした教育学部の学生や卒業生たちが、悪意を持って言っているわけではないという。
「もちろん教育学部でも多くの学生は、そういう子どもがいるのは知っています。けれど、“頑張ればできるんじゃないか”とか“自分が勉強してきたやり方で教えれば伝わるはずだ”というような固定観念で接してしまい、結果的に失敗して挫折感を味わう事例がよくあります。
また、教育学部に進学する学生というのは、教員になることへの熱意が人一倍強く、その動機として自分の恩師がモデルになっていることが多いです。でも、ひとつの教員像にこだわりすぎると、その教員像から逸れた事柄に疎くなりがちなのです」(同)
ツイートへのリプライには「教育学部出身の先生より、数学科や英語学科などの専門学部出身の先生のほうが疑問に詳しく答えてくれる」といった声も上がっていたが、やはり専門分野への精通度合いでは劣る部分もあるのか。
「前提として、疑問に詳しく答えてくれたからいい教員か? というと、必ずしもそうではないと思います。ですが、確かに教育学部が目指す教員像というのはスペシャリストというよりは、汎用性の高さが強みのゼネラリストといえますので、疑問に詳しく答えてくれるのは専門学部出身の先生だという指摘は的を射ているかもしれません。子どもが疑問に思ったことをすぐに教えてくれる、という点ではひとつの学問分野について専門的に学んだ、教育学部以外の学部出身教員の方が優れていることもあるでしょう。一方で、教育学部出身の教員は全ての教科を広く浅くしか学んでいませんが、子どもの発達段階とか学習のつまずきへの対応などについても専門的に学びますので、多様な子どもたちへの対応という点では強みがあると思います。
そのような意味もあり、教育学部に入学した学生には、多様性(Diversity)ということに対する深い理解と、多様な子どもたちを包摂するインクルージョン(Inclusion)に対する感度を上げてもらいたい、という意味でツイートしたところもあります」(同)
“深い学び”を取り入れ、変化の最中にある教育学部が目指すこれからの姿
そんな教育学部も今は変化の只中にあるという。
「スペシャリスト的な視点がないがしろな学部かというと、近年はそうではない印象が強いです。ときに今の学校教育では、これまでよりも物事を伝える“深い学び”を重視しています。これは、社会に出た後を想定して、学校で得た知識などを活用してより具体的な課題を解決するための力が求められるようになったからだと思います。
そのために今の教育学部では『子どもにテストで良い点を取らせられる教員を育てよう』的な方針ではなくて、むしろ『子どもの“深い学び”を実現できる教員を育てよう』という方向になり、さまざまな取り組みがどんどん行われています。そういった取り組みは、これからの教育学部にとって大きな強みになるでしょう」(同)
この“深い学び”という考えについて、國學院大学の田村学氏が著書の中で例を紹介しているという。
「社会科の学習内容に、江戸幕府が各地の大名を支配するために講じた3つの制度に『参勤交代』『武家諸法度』『大名の配置』というものがありますが、これまでだと“こういう制度が江戸時代にはありました”と、表面的な知識を教えていくだけにとどまることが多かったと思います。
しかし、現在目指している“深い学び”では3つの制度の名前や内容などを羅列的に覚えるだけでなく、『江戸幕府は参勤交代させることで各大名家の財政を削り、武家諸法度で各大名家同士の政略結婚などを管理し、大名の配置は幕府の意思を各地にうまく伝える意図があった』『結果として各地の大名の力を削ぎ、幕府による支配を強めた』などと、知識を体系的に捉えることが求められています。現在では、こういった深い学びを促すことができる授業が目指されているのです。
そうした社会でも活用できる力を身につける、新しい学びのあり方などを追求するのは、教育学部で“教育とは何か”を専門的に学んできた教育学部出身の教員の方に期待されていると思いますし、そうした教員を輩出できるように教育学部でも様々な取り組みがなされるように変化してきています」(同)
では、教育学部は今後、社会においてどういう位置付けになるのだろうか。
「30年前であれば教育学部出身の教員は、どこか頭の固いイメージがあったかもしれません。実際、今回私のツイートに多くの反響があったなかで、そうしたイメージを訴える方も多く、まだまだ教育学部に対する世間のイメージは変化していないんだな、と私自身いろいろ考えさせられました。ですが、教育学部はかなり変わりつつあるので、今学んでいる学生たちが実際に教員になる頃には、こうしたイメージもまた違ったものになってくるのではないでしょうか」(同)
(文=A4studio)