東京都江戸川区の住宅で今年2月、60代の男性を刃物で殺害したとして、江戸川区立松江第五中学校の36歳の教諭、尾本幸祐容疑者が殺人容疑で逮捕された。尾本容疑者は事件前にも被害者宅に侵入していた疑いがあり、事件当時ギャンブルなどで数百万円の借金を抱えていたと報じられた。事実とすれば、ギャンブルで作った借金の返済に窮して窃盗目的で被害者宅に侵入し、鉢合わせしたとも考えられる。ギャンブルにはまった結果、殺人まで犯したとなれば、ギャンブル依存症の可能性も否定できない。
ギャンブル依存症は、アメリカ精神医学会が作成した診断基準、DSM-5にも「ギャンブル障害 ( Gambling disorder )」として記載されており、れっきとした病気である。スマホ、ゲーム、買い物などへの依存症と同じく、特定の行為への依存症であり、「嗜癖 ( Addiction )」の1つとしてとらえられる。
意外に思われるかもしれないが、ギャンブル依存症に陥る方には、教師のような堅い職業に就いている真面目な方が少なくない。たとえば、県立高校の校長だった50代の男性は、ギャンブルにはまって借金が一千万円近くにふくらみ、取り立ての電話が勤務先の高校にまでかかってくるようになって、退職を余儀なくされた。借金は、退職金で返済することができたが、妻とは離婚し、行方をくらました。この騒動で妻は不眠に悩むようになり、以後私の外来にずっと通院している。
教師がギャンブルにはまって部費や給食費などを流用したという事件も、しばしば報道されている。その背景には、長時間労働や父兄への対応によるストレスに加えて、いつもきちんとしていなければならないとか、常に正しい振る舞いをしなければならないとかいう重圧を教師が抱えていることがあるのではないか。
尾本容疑者にしても、勤務先の校長の「日常の勤務状況も良好」「教員との人間関係も良好」「中堅教員として手本となっている」という証言をはじめとして、父兄や生徒からは「生徒思いで熱心」「怒っているとこを見たことない」「優しい印象しかない」という証言、近所の人からは「子煩悩なお父さん」という証言など、いい評判しか出てこない。もしかしたら、「いい人」「いい先生」「いい父親」であろうとするあまり、不満をぶつけることも弱音を吐くこともできず、ストレスを溜め込んでしまい、それを発散する手段がギャンブルくらいしかなかったのではないかと疑いたくなる。
しかも、尾本容疑者は特別支援学級の主任を務めていたそうだが、これは相当大変だったはずだ。最近発達障害の生徒が増えており、対応に苦慮している教師から相談を受ける機会が多く、そのたびに頭が下がる思いがする。
もちろん、ストレスや重圧があったからといってギャンブルにはまっていいというわけではない。挙げ句の果てに窃盗や殺人を犯すなど言語道断であり、尾本容疑者を擁護するつもりは毛頭ない。ただ、教師という職業柄、抱え込んだストレスや重圧が事件の背後にあったのではないかと思う。
否認しないで相談することが必要
尾本容疑者は、借金が数百万円にまでふくれ上がった時点で妻や両親、さらには専門家などに相談することはできなかったのだろうか。そうしていれば、今回の悲劇を防げたかもしれない。
たとえば、40代の会社員の男性は、異動をきっかけに不安が強まったと訴えて私の外来を受診し、10年以上通院しており、結婚して子どもにも恵まれた。穏やかで優しい男性なのだが、最近になって診察の際、
「実は、ストレス発散のためにギャンブルにはまって借金が800万円くらいにまでふくらみ、取り立てが会社にまできそうになったので、妻に打ち明けた。妻は怒ったが、『支える』と言ってくれたし、両親にも話したら、心配してくれている。弁護士にも相談して債務整理をすることになった。そのための診断書が必要」
と打ち明けた。
私は、10年以上診察していながら彼が秘めていた“裏の顔”を見抜けなかったことで、おのが不明を恥じたが、「神様でも魔法使いでもないんだから」と自分で自分を慰め、診断書を書き、ギャンブル依存症の専門外来がある某病院に紹介した。
先日、来院した彼は、ギャンブル依存症の専門外来で診察を受け、プログラムに参加することになったと伝えてくれた。不安障害のほうは私の外来への通院を続けたいとのことだったので、今後も主治医として彼を支えるつもりである。
この男性は、家族と主治医に打ち明けることができたから、ギャンブル依存症の治療に取り組むことができるようになった。ギャンブル依存症は病気なので、きちんと治療しないと治らない。だから、自分は病気なのだという自覚、つまり「病識」を持って専門家に相談することが必要だ。
一番悪いのは、「こんなものは、やめようと思えばいつでもやめられる」と豪語し、自分がギャンブル依存症だということを否認し続ける姿勢である。その結果、身の破滅が待ち構えていることも少なくない。だから、まず否認をやめて、家族、さらには医師や弁護士などの専門家に相談することをお勧めする。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
片田珠美『やめたくてもやめられない人-ちょっとずつ依存の時代』 PHP文庫、2016年