社会の分断が問題視されるにつれ、LGBTQやシングルマザーといった社会の中の様々なレイヤーが可視化され、それぞれの人々が抱えている生きづらさに焦点が当たるようになった。誰もが何らかの形で生きにくさを抱えている現代で、「弱者男性」もまた取り残された存在としてクローズアップされることがある。幸福の尺度は多様化されたが、恋愛や結婚、十分な収入といった要素は依然として幸福の一要素ではある。そして、「自分らしく生きること」がどんなに重要視されようとも、人はどうしても周りと自分を比べてしまう。だから、これらの要素のいずれも手に入らない人は、疎外感や孤独感を抱きやすい。
「弱者」でも「男性」であることで苦しみが相対化される
『男がつらい! – 資本主義社会の「弱者男性」論 –』(杉田俊介著、ワニブックス刊)は現代の弱者男性の生きにくさの本質に迫る。女性と男性。単純に比較すれば、日本では男性はあらゆる面で女性より有利な立場にある。収入にしても、働きやすさにしても、社会的な立場にしても、である。
それでも彼らが幸福感を感じられないのだとしたら、それはなぜなのだろうか? 「弱者男性」の定義を、現在は差別的だとして使われなくなったKKO(きもくて・金のない・おじさん)と重ねるのであれば、収入が低く(非正規雇用で)、容姿に恵まれず、中高年、ということになる。収入面一つとっても、経済的に困窮したり雇用環境が悪化したり不安定化したら性別に関係なく幸福を感じるどころではない。
ただ、こと男性の場合は「女性や性的マイノリティに比べたらまだ恵まれている」といった形で、その苦しみは相対化されてしまいやすい。彼らを理解し、尊重し、認める風潮はまだ訪れていない。
世界的な流れを見れば、文化的な多様性も、女性の社会参加も、障がい者へのバリアフリーも達成される方向に向かうはずだ。多様性も包摂性も、大きな目で見れば実現される流れにある。ただ、そこにはやはり掬い上げられない人々もやはり出てきてしまう。その一つが弱者男性ということになるのだろう。
彼らは相対的に女性よりも収入の多い男性であり、はっきりとした差別の対象でもない。それゆえに、その「弱さ」を説明しにくい。わかりやすい「社会的弱者」でも「マイノリティ」でもなく、多数派男性の中に生じた「残りのもの」である。そして、「残りのもの」であることによって、人間としての尊厳をはく奪されているのである。
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「弱者男性」とはどのような人で、その弱さとはいったい何なのか。本書では様々な文学作品や映画を紐解きつつ、その実像に迫る。世の生きにくさを抱えつつも、何がそんなに苦しいのかわからず、そして救いの手を差し伸べてくれる人もいない男性たちにとって、今の生きにくさの理由を明確に説明してくれる一冊である。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。