11月15日、新しい駐日米国大使としてキャロライン・ブーヴィエ・ケネディ(Caroline Bouvier Kennedy)が赴任した。日本の皇室、英国の王室のような国家の象徴を持たない米国にとって、ケネディ家は王室と同様の位置付けにあるような名家だ。
第35代大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスの遊説先で暗殺された事件はあまりにも有名だ。そのケネディ元大統領の長女として生まれたキャロラインは、当時、わずか5歳だった。今年、ケネディ元大統領の暗殺から50年が経過した。
キャロラインは、1957年11月27日生まれの56歳。ケネディ元大統領夫妻は4人の子供を授かったが、2人は生後間もなく死去しており、キャロラインの弟ジョン・F・ケネディ・ジュニアは99年に不慮の事故死を遂げたため、彼女がケネディ本家の唯一の後継者となった。
マサチューセッツ州の旧ラドクリフ大学(現在はハーバード大学に統合)を卒業後、ニューヨーク州のコロンビア大学ロースクールで法学の博士号を取得した。ニューヨークのメトロポリタン美術館に勤務していた86年、デザイナーのエドウィン・シュロスバーグ氏と結婚、一男二女をもうけた。駐日大使となるまでは、ケネディ記念図書館館長、ハーバード大学ケネディ行政大学院顧問などを務めていた。
キャロラインに政治的な活動の経歴はない。そのキャロラインが一躍注目を集めたのが、2008年1月27日にニューヨーク・タイムス紙に寄稿した「父のような大統領」という論説だった。これは、当時無名であったバラク・オバマ現米国大統領を称賛したもので、この寄稿文により、オバマ氏は一気に知名度を高めた。
通常、米国ではこれだけの貢献をすれば、大統領のスタッフとして政権内で重要ポストに就くものだが、キャロラインはこれらの誘いを固辞したといわれている。09年には国務長官に転身したヒラリー・クリントンの後継者としてニューヨーク州上院議員候補に名前が挙がったが、これも辞退している。
キャロラインと日本とのつながりは多くない。86年の新婚旅行に奈良・京都を訪れた程度で、「親日派」と呼べるほどの関係は見いだせない。しかし、キャロラインが駐日大使として日本に赴任してきたことの意味は大きい。
●注目を集めるキャロライン
これまでの駐日米国大使がすべて政治家、もしくは政治経験者であったわけではない。
例えば、マッカーサー2世は職業外交官だったし、ライシャワー大使はハーバード大学教授であり、研究者だった。ロバート・インガソルは大手自動車部品メーカーの会長であり、ジェームズ・ホドソンはロッキードの副社長という経済人だった。近年、政治家で駐日大使を務めたのは、民主党上院院内総務だったマイケル・マンスフィールドだ。マンスフィールドに象徴されるように、政治家から駐日大使になる場合には、かなりの大物政治家が選ばれるケースが多い。
しかし、キャロラインの場合には、職業外交官でも、経済人でも、政治家でもなく、まったく新たなタイプといえるだろう。だが、その影響力は計り知れない。現在の米国議会は、上院で与野党が真正面から対立している。その中にあって、キャロラインを駐日大使とする大統領指名人事は、非常な関心を持って審議され、全会一致で承認されている。
キャロラインの駐日大使就任に最も関心を寄せていたのは、中国ではないだろうか。キャロラインが駐日大使に就任した直後の11月23日、中国政府は尖閣諸島上空を含む空域に「防空識別圏」を設定したと発表した。中国にとって、領空問題は日本よりも同盟国である米国の反応が重要であり、この問題にキャロライン新大使がどのような反応を示し、どのような役割を果たし、米国がどのような対応をするのかに注目したはずだ。キャロラインという新大使を観察する点からも、この問題をぶつける意味があったのではないだろうか。
全米国民が注目し、隣国中国が関心を持ち、警戒するキャロライン・ケネディ大使とどのような関係を築いていくのか、日本政府の能力が問われている。
(文=鷲尾香一)