集団的自衛権、“不祥事”裁判を容認・根拠とする危険な安倍政権~日米の密談が生んだ判決
1957年といえば、本稿読者の多くは、まだ生まれていなかったかもしれない。そんな時代に起きた事件に、にわかにスポットライトが当てられている。「砂川事件」と呼ばれる、60年安保闘争の前哨戦ともいうべき事件だ。裁判では、日米安保条約と米駐留軍の合憲性が争われた。
安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈を実現するために、その根拠として、この事件の最高裁判決を持ち出している。しかし、同判決は集団的自衛権の憲法適合性については、まったく判断していない。そればかりか、当時の最高裁長官が裁判の前や最中に数度にわたって米国の代表者と密談し、情報提供するという、司法の独立性・中立性に大きな疑問符がつく事態であったことが、明らかになっている。
●日米両政府に衝撃を与えた「伊達判決」
事件が起きたのは、57年7月8日。米軍基地拡張計画に反対する農民らを学生や労働者が支援する「砂川闘争」が展開されていた東京都砂川町(現在は立川市)で起きた。土地の強制収容のために特別調達庁(その後防衛施設庁、現在は防衛省に統合)の係官が測量をしようとした際、反対するデモ隊が機動隊と衝突。デモ隊の一部が米軍基地内に数メートル立ち入り、23人が逮捕され、うち7人が日米地位協定に伴う刑事特別法に違反しているとして起訴された。
一審の東京地裁は、59年3月30日、「日米安保条約に基づき、わが国に駐留する米軍の存在はわが国の戦力に当たり、戦力保持を禁止する憲法9条に違反する」として、全員に無罪を言い渡した。伊達秋雄裁判長の名前をとって「伊達判決」と呼ばれる。
この判決は、翌年に安保条約を改定する準備を進めていた日米両政府に大きな衝撃を与えた。日本政府は事件を早く片付けるべく、米政府の意見を入れて、高裁を飛び越して最高裁に直接上訴する「跳躍上告」を行った。
最高裁は期待に応えて、猛スピードで審理を行い、その年のうち(59年12月16日)に、一審判決を破棄し、事件を東京地裁に差し戻す判決を出した。
判決は、憲法が禁じた「戦力」とは、「わが国がその主体となって、これに指揮権、管理権を行使し得る戦力」であって、在日米軍はそれに当たらないと認定。安保条約については、「わが国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するもの」として、「裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のもの」とする「統治行為論」の立場を示しながら、「違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない」として、違憲判決を否定するという、わかりにくい書きぶりになっている。自衛権については、「主権国として持つ固有の自衛権」(個別的自衛権)を認めた上で論を進めているが、集団的自衛権には触れていない。