震災後増殖した、“正義”を騙る浅はかな知識人や市民を疑え
シリーズ企画「21世紀の神々」のひとりとして
紹介された。
『「フクシマ」論』については過去のインタビューを参考にしていただきたいが、開沼氏はその後も地道に福島に通い続け、現地の人々の声を聞き、さまざまな媒体で評論、エッセー、ルポを発表し、対談を行ってきた。それら震災後の活動をまとめたのが、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)だ。この本に託した思い、3.11以降の「日本の変わらなさ」などについて聞いた。
――『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』、早速話題になっているようですね。朝日新聞(9月27日朝刊)でも論壇ページで取り上げられていました。丸善に行っても、いい場所に平積みになっていましたよ。
開沼博氏(以下、開沼) はい、ありがとうございます。おかげさまで、既に多くの人に手に取っていただいているようです。
――今回の『フクシマの正義』は『「フクシマ」論』以来の単著ですね。この間の活動は、どのようなものでしたか?
開沼 昨年度は、共著・共編著など、複数の書籍を作るのに関わっていました。原発事故によって避難した方がどのような状況にあったのか、若手の社会学者の論文をまとめた『「原発避難」論』(明石書店)やワーキンググループのメンバーとして関わった、いわゆる民間事故調の報告書『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。あと、『地方の論理』(青土社)。これは前の福島県知事である佐藤栄佐久さんとの対話形式で、原発事故以前の福島が抱えた課題や、掲げられていた理念・政策をオーラルヒストリー的に聞き、まとめたものです。
――『地方の論理』は、「今後の日本のあり方」を福島の歴史から掘り起こそうとするというのがテーマでしたね。
開沼 その通りです。佐藤栄佐久さんは今から10年ほど前、福島県知事在任中に原子力政策に疑問を呈する施策を打っていた。2000年代前半からすでに、日本社会と原発の抱える課題と真正面から向き合っていました。ただ、『地方の論理』では、あえて原発の話をしませんでした。それは、「原発」の話そのものよりも、「原発についての政治」の、今から見れば、妥当な判断の前提条件の話のほうが重要だからです。
地方の首長が「原発に疑問を呈すること」は、10年前には「突飛なこと」でした。しかし、震災後、その前提は大きく変わり、今となっては彼の判断は「予言的なこと」となりました。では、なぜ震災前にそのような思い切った判断をできたのか。その政治の背景には、いかなる社会的背景や個人的な思想があったのか、解き明かしたかったんです。
――「古きをたずねて新しきを知る」的な……。
開沼 「福島のことを知ろう」とか言う人は腐るほどいるんですが、そこで目が向けられるのは「原発・放射線」に関することばかり。いやいや、「福島=原発・放射線」っていう認識で「福島のことを知ろう」とか言われても、それってここ1年のことにすぎないですから、と。っていうか他の地域にだって「原発・放射線」の問題はある。本当に解決すべき課題やその解決策の芽は、いくら「福島=原発・放射線」を掘っても、ごく一部しか出てこないんです。