日本新聞協会の新聞倫理綱領には、こう書かれている。
〈新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。〉
事実を記録する報道と、個々の立場や信条が反映する論評はきっちり分けなければならない。また、報道・論評は、今を生きる人たちに考える材料を提供すると共に、歴史の記録でもある。なので、過去の記事であっても、間違いは訂正しなければならない。つまり訂正は、いやいやながら、仕方なく出すのではなく、「歴史の記録者」として、むしろ積極的に出していく気概が求められている、と言えよう。同時に、情報の受け手も、訂正は正確な歴史を刻んでいこうとする証と受け止めて、評価していくべきだろう。
朝日新聞の1人ひとりの記者が、この原点を再確認すると共に、間違いが速やかに適切にただされる仕組みが必要だ。私は、朝日新聞の再生・信頼回復委員会の外部委員として、この訂正のあり方についてことある毎に提案を行ってきた。第三者委の報告書でも批判されたこの問題を、朝日新聞がどう受け止め、再生プランの中に位置づけていくかが、問われている。
ただ、これは、ひとり朝日新聞のみの問題ではない、とも思う。
新聞はなかなか間違いを認めず訂正を出そうとしない――これについての人々の不満や批判は、朝日だけに向けられているわけではあるまい。インターネット上で、マスメディアが「マスゴミ」などと呼ばれる一因には、訂正になかなか応じない、誠実さを欠いた態度も一因だろう。
今回の報告書で、鬼の首でも取ったかのように朝日批判を展開している新聞が、過去の問題報道を放置しているケースもある。
たとえば、2011年5月21日付読売新聞。1面トップで「首相意向で海水注入中断」の見出しで伝え、記事は「(原発)1号機で、東日本大震災直後に行われていた海水注入が、菅首相の意向により、約55分間にわたって中断されていた」と断じている。記事には、菅氏が注水中止を命じたとまでは書いていないが、「首相が誤った判断で(海水注入を)止めてしまった。万死に値する判断ミスで、ただちに首相の職を辞すべきだ」とする「自民党の安倍元首相」のコメントも紹介されている。見出しのインパクトもあり、菅首相の間違いによって海水注入が止められた、と多くの読者は受け取っただろう。朝日新聞の吉田調書報道を普通に読めば、「原発所員は所長命令に反して逃げた」と受け止めるように、読売のこの記事も、読者の誤解を巧みに誘導する内容だったと言える。
菅氏側は、当初から海水注入に反対したことはないと反論しており、さらに吉田調書の公開で、吉田元所長に海水注入の中断を指示したのは東電幹部だったこと、その指示後も吉田元所長は注入を中断していなかったことが明らかになった。
だが、その後も記事の訂正は、一切なされていない。これもまた、「歴史の記録者」として正しい態度ではないだろう。
また、慰安婦問題に関して、朝日の対応を非難し続けている産経新聞は、5月20日付で掲載した連載企画「慰安婦問題の原点」5回目で、フリージャーナリストの証言を元に慰安婦支援団体のイベントについての記事を掲載。ところが、当の団体から、記事の客観的誤りをいくつも指摘された。産経新聞は、訂正を求められた5項目のうち2項目しか応じず、しかも謝罪もしなかった。誤報検証サイト「GoHoo」(※)によれば、訂正に応じなかった部分は、「(フリージャーナリストが)自らの経験として述べておられる内容であって、事実として認識しております」と説明した、とのこと。
これでは、吉田証言を頼りに記事を書き、その信憑性に疑問を示す調査結果が出た後も裏付け取材を行わず、訂正の時にも謝罪をしなかった朝日新聞の対応と全く同じではないのか。