国会議員の平均報酬5千万!を報じないメディア、国と癒着し多大な便宜を受ける実態
安倍首相はすぐさま遺憾の意を表明し、自民党は勉強会の代表だった青年局長を更迭、当の言論規制発言の議員には厳重注意処分を行い、さっさと幕引きを図りました。そしてそれに歩調を合わせるかのようにマスメディアのほうも、この問題にはわずかの批判を加えただけでとっとと終息させてしまったのでした。
講師役の著名作家が発言した「沖縄の2つの新聞」に当たる沖縄タイムスと琉球新報が、猛烈な抗議の声を上げているのに対し、在京メディアは素知らぬ顔を決め込んでしまったのです。危機意識のなさを露呈させた対応となりました。言論の自由、報道の自由は死んでも守るぞ――といった気概すら感じられないのが、日本のマスメディアの現状です。
そもそも自民党若手議員のあいだからこうした非常識なメディア規制、言論封殺の声が上がるのは、とっくにマスメディアが政治家からなめられているからにほかなりません。今までマスメディアが、政権とズブズブの癒着関係を続けてきたからこその事態だともいえます。
「政治権力」にすり寄り
日本は敗戦で国土が灰燼に帰する中、戦前への反省とともに平和国家建設に向け、大事なのは「マスメディアの役割」だったと強く認識したはずでした。戦前は自由な言論を封殺されて軍部の独走を招き、大政翼賛会、大本営発表垂れ流しの太平洋戦争へとひた走ったため、日本人は「権力への監視」「言論の自由」がいかに大事なのかを身に染みて知りました。しかし、結局戦後一貫してマスメディアは、権力にすり寄る歴史を重ねてきたのです。
敗戦後、新聞は再販制度の新聞特殊指定による全国統一価格の導入を認められました。また、戦前には記者クラブによる言論統制を受けていたにもかかわらず、記者クラブ制度を復活させ、税金による便宜供与をまたしても独占的に受け始めます。さらに、大手新聞各社は政府から東京都心の一等地にある国有地を格安価格で払い下げてもらい本社屋を建てていきます。
つまり新聞は「公共性」を楯に自分たちにとって有利な要求を政府や地方行政にのませ、実現させてきたわけです。このあたりからすでに政権に魂を抜き取られ、堕落が始まっていたとも見て取れるのです。その後は、電波周波数の割り当てを恣意的に行ってもらい、大手新聞社は系列テレビ局の格安電波利権を得て、広告料収入で潤っていきます。いわば、日本のマスメディアは政治や行政におんぶにだっこで形成されてきたわけです。