司馬遼太郎の『国盗り物語』はデタラメだった?史実と違う主人公の生涯
しかし、ある時ふと思いました。よく、歴史上の人物について「徳川家康が好き」「宮本武蔵が好き」「織田信長が好き」などと言いますが、誰も実際の家康や武蔵のことは知りません。それは、「徳川家康」が好きなのではなく、「山岡荘八が描いた徳川家康」や「吉川英治が描いた宮本武蔵」「司馬遼太郎が描いた織田信長」が好き、というだけなのです。
前述した『国盗り物語』では、道三、信長、さらに明智光秀の3人が描かれています。そして、多くの人が、この“司馬遼太郎ワールド”の中の3人を、実際の道三、信長、光秀と認識しているのではないでしょうか。
小説の中の道三について、ざっと説明すると、以下のようになります。
僧侶から武士になった松波庄九郎は、「西村」姓を名乗ります。やがて出世して「長井」姓を名乗り、美濃国の守護大名である土岐頼芸を討って「斎藤」姓を名乗ります。
しかし、1990年代末から進んだ岐阜県の歴史編纂の中で、驚くべき事実が明らかになりました。近江国の大名・六角氏による「六角承禎条書」という文書が発見されたのです。そこには、こう記されていました。
「斎藤義龍の祖父、新左衛門尉は京都の妙覚寺の僧だった。やがて、彼は西村の姓を名乗る。その子、土岐氏を討ち、斎藤を名乗る」
つまり、僧から身を起こして武士となった人物と、土岐氏を追放して斎藤を名乗った人物は、別人(親子)だったことがわかります。道三による“国盗り”は、親子2代の物語だったのです。
(文=浮世博史/西大和学園中学・高等学校教諭)