他の人たちに比べて成長速度が速い人たちのなかには、「誰からでも学べる」という特性を持っている人が多い。それはハイパフォーマー共通の特性と言ってもいいと思われるほど、多くお目にかかる。そのような人たちはそれまでの職業人生を振り返って、決まって、「人に恵まれた」と言う。「反面教師といえるような上司にあたったことはないですか?」とあえて水を向けてみると、「どんな人でも必ず1つは光るものをもっているものなので」というようなことを多くの方が話される。他人の優れた点を見つけることに長けた人たちなのだ。こういう人たちは、上司になっても、部下のあら探しをしたりはせず、その人の強みなど優れた点に目を向けるため、自信を持たせ、成長を促すことができる。
なお、その時には「ほんとにひどい上司だなあ」と思っていても、上司の立場になってみて初めてわかるということもある。人の子の親になってみて、はじめて親の気持ちがわかるということと同様だ。これも良い面と悪い面とがある。
ずっとあとになってわかる、元上司の気持ち
実際に私も、のちのちになってわかったことがいくつもあった。
悪い例から先に述べるが、社会人3年目頃のこと。やたらと強弁しがちな上司(Aさん)がいた。Aさんは、その会社のなかでも出世頭で、29歳にして課長という立場にあった。おそらく、しゃべっている途中で、自分の言っていることが間違っているとわかったことも幾度かあったように思う。そうした場合にも、主張を改めることはなく、かえって当初の主張をますます強い口調で押し通すのであった。
単に性格的な問題なのであろうくらいに思っていたが、自分が上司の立場になってみて、それは「怖れ」の感情があってのことだったということがわかった。若い上司としては、部下になめられてはいけない、自分は部下よりも優れていなければならない、という思いが強過ぎ、ついつい強弁しがちになるのだ。その時、「ああ、こういうことだったのか」とはじめてわかった。その上司と出会っていた頃に、Aさんの気持ちにも思いを馳せる余裕があったのなら、受け止め方や対話の仕方もだいぶ違っていたであろうと思う。
もちろん良い面の発見もいろいろとあった。たとえば、文章の構成をひたすら細かく指摘する上司(Bさん)に20代の3年間お世話になった。営業訪問をした後の訪問メモに関しても常にそうだった。訪問メモなど、面談内容と結果と次のアクションとが伝わればいいではないかと私は思っていたが、Bさんは、こことこことがつながっていないとか、論理の飛躍があるとか、この言葉遣いは適切じゃないとか、小学生の作文指導じゃないんだから勘弁してほしいと正直思っていた。
しかし、年を経るにつけ、それは決定的に重要なことだということがわかった。しかも、若いうちに訓練しておかないと、職業人生全体を通して大きな弱点となってしまうということも。
結局、自分が対面で話せる人は常に限られており、それよりも上の立場の人やより広い関係者には、自分が書いた文章でしか主張を伝えられない。説得力のある文章以前に、誰が読んでも正確に内容が伝わるものでなければ、事は前に進まないのである。自分自身も上司の立場になって、部下の出してくる文章のひどさが目について仕方がなかったが、それもBさんに鍛えていただいたからでこそだと思う。
メールやSNSの活用が進むにつれ、ますます文章を書くことが多くなり、さらにその重要性は増した。Bさんと出会っていなければ、ここに書いている文章も相当ひどいものになっていたであろうし、そもそも、こういうところに文章を書かせていただける立場にはなかったことも明らかである。あれから30年近く経ったいま、Bさんには心底、感謝している。
(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)