会社には「仕事ができる」と言われる人と、「仕事ができない」と言われる人がいる。その違いはどこにあるのだろうか。
例えばプログラミングのスキルがあるのに、まるで役立てられていない。戦略分析のフレームワークに精通しているのに、戦略を描けない。多様なスキルを持っていて、知識も豊富なのに、成果に結びつけられない。そんな人たちは「仕事ができる」と言えるだろうか?
経営学者の楠木建氏と、独立研究者・著述家の山口周氏の共著である『「仕事ができる」とはどういうことか?』(宝島社刊)という、まさに直球のタイトルがつけられた一冊。
スキルはあるのに成果を出せない人は、「作業」が得意でも「仕事」ができない、スキル以前にセンスがない人なのだと看破する。
■2人のリーダーから見る「センスの使い方」
ただ、本書を読んでいくと、仮に「今、仕事ができない」状態でも、それを覆すことが可能だということも見えてくる。それは2人が名を挙げる様々な先人たちの姿からも見えてくる。
例えば、阪急東宝グループの創業者である小林一三は、現代に至る私鉄の経営モデルをつくり上げた伝説的な経営者として知られているが、若い頃を過ごした三井銀行時代は、吉原で遊び、会社にも行かず、左遷を繰り返すという問題児だったそうだ。
そこから阪急電鉄の前身会社に行き、センスが開花。山口氏は「その才能はベンチャーで鉄道をやって、具体的で物理的な場所をつくるとか、人を動かすというフィジカルなビジネスをやるときに発揮された」と指摘する。
同じようにムラがあったのが、第二次世界大戦下でイギリス首相を務めたウィンストン・チャーチルだ。山口氏は、チャーチルについて「資源配分ができない=政治家に向いていない」とした上で、それでもナチスとの戦争に勝利したのは「全権を自分が手に入れて相手と戦うという局面ではきわめて強力なセンスを発揮」したからだと述べる。ちなみに「戦車」はチャーチルの発明とされているが、それも彼のセンスから生まれたものだと言えるだろう。
■カルロス・ゴーンが持っていたセンスと、持っていなかったセンス
この2人の例から言えることは、あるところでは仕事はできなくても、別の土俵に立てば、センスを発揮できるかもしれないということだ。つまり、自分のセンスの「土俵」が分かっている人は、「仕事ができる」ということが言える。
これは逆もありえることで、自分のセンスを発揮できる土俵で活躍していたが、いつしかその土俵がなくなってしまうこともある。
例えばカルロス・ゴーン氏について楠木氏は、「マイナスをゼロにする」にはすごくいいけれど、「ゼロからプラスをつくっていく」ということになると…と言葉を濁す。
確かに、悪い状態を整理し、改善するセンスと、爆発的に伸ばしていくセンスは全く異なるものだ。全てを兼ね揃えたスーパーな人間はほとんど見受けられない。
このように、本書は「仕事ができる」ということにおいての「センス」の意味について、滔々と語られている。
「仕事ができるかどうかの違いは分かった!でも、自分にはセンスがない」と思い込んでいるなら大間違いだ。センスは生まれ持った資質とつい思ってしまいがちだが、2人は口を揃えてセンスは「後天的なもの」だとしている。センスを練り上げていくのは、試行錯誤の時間だと楠木氏は言う。
センスがないと思うのではなく、「打席に立ってみないと分からない」と考える。楠木氏と山口氏の言葉は、仕事に迷う人にとって響くものがあるはずだ。
(金井元貴/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。