今年のNHK大河ドラマが明智光秀を主人公としたものであるということなので、年末年始に明智光秀に関する本を数冊読んでみた。「本能寺の変」に関わる側面以外、ほとんど何も知らなかったということを改めて認識したが、今回、大事にも小事にも優れ、極めて優秀な人物であったことがわかった。
高度な軍略を用い、自らも砲術の高い技術を持ち、加えて、学もあり、茶の湯など深い教養も身に付けており、洗練された立ち居振る舞いをする人物であったようである。そうした卓越した能力で次々と実績を上げ、織田信長家臣団のなかで突出した出世を遂げている。
光秀の能力のなかでも、特に優れていると思われるのが、「忖度」力である。秀吉もそうだが、光秀も、信長の掲げる「天下布武」のビジョンのもとに、今自分が何をすることが、そのビジョンの実現のために重要か、早道かを考え、先々を見越してどんどん行動に移している。
昨今、官僚や首相補佐官が首相を忖度した言動をとったことが問題化したことで、「忖度」という言葉や行為のイメージが極端に悪くなった感がある。しかし忖度とは、「他人の心を推し量ること」であり、ビジネス界にかかわらず、世間一般、人間社会で生きていく上で極めて重要な能力である。ビジネス界においても高度なスキルといえる。忖度できるということは、今現在置かれている状況を正確に理解でき、また、将来の状況を洞察することができなければならない。極めて高度な能力が求められるのだ。
ビジネスの世界でも、上司の立場としては、部下が自分の期待をきちんと理解し、期待を上回るような仕事をしてくれたら、こんなに嬉しく、ありがたいことはないのではないだろうか。ただ、誤った想定のもとに進められることは困る。無駄な時間を費やしてしまうばかりでなく、場合によっては、リスクを誘発したり、顧客など重要な関係者との人間関係をこじらせてしまったりということにもなりかねない。昨今問題化している例も、誤った忖度であったり、倫理観を欠いた忖度であったりするから問題となっているのだ。
では、忖度をする余地のないほど、事細かに指示を出せばよいではないか、と言われるかもしれない。しかし、どうであろうか、10名の部下がいるとし、一人ひとりが担当していることに対して、微に入り細に入り、逐一指示をすることが現実的に可能だろうか。もし多くの時間を費やしてそれを可能としたとしても、それはかえってマイクロマネジメントになり、部下の側としては、やらされ感に苛まれることになる可能性が高い。また、先を読んで仕事をするという、上の立場になればなるほど重要性を帯びてくる、ビジネス能力がいっこうに養われなくなってしまう。
結局、忖度をしつつ仕事をするということは、大なり小なり必要であり、重要なことなのだ。そのうえで、誤った忖度が行われないようにするうえでは、部下の優秀さが前提であり、きちんと評価し、育成することが不可欠となる。
冷酷非道さだけではない信長像
信長も人を見る優れた目を持っていたと言われる。役割を与えて育て、その結果に納得すればさらに重用し、結果を出せなければ古参の重臣でも躊躇なく外す。この時代には珍しく、身分を問わず人材を登用し、合理的かつ公平な人事を行った。そのなかで秀吉や光秀は異例のスピード出世を果たしたのである。もちろん、見ているのは事の結果だけではなく、地頭の良さや教養、センス、統率力などもよく見ていた。
人の上に立つ人物には、人を見る目が不可欠だが、これがなかなか難しい。企業のなかを見ていても、たいていはプレイヤーとしての実績くらいしか見ていないため、管理職に登用してミスマッチを起こすということが多発している。
人を見るに長けていた信長は、他の人には見えていない側面も見切っている。信長の家臣に松永久秀という老武将がいる。たいへん狡猾な人物で、何度も信長を裏切るが、その都度許されている。最後はついに自害に追い込まれるが、その際にも信長は、理由を問いただそうと使者を送っている。信長というと、冷酷非道なイメージが強く、裏切りに対しては即刻首を切るように思われがちであるが、そればかりではない。
久秀は武将であるとともに、優れた茶人でもあり、茶の湯を通した深い教養と洞察力を身に付けていた。信長はそうしたところを買っていたに違いない。また、将軍足利義輝を殺害したり、東大寺大仏殿を焼き払ったりという、神も仏も恐れぬ徹底ぶりが自分と似ていると感じていたのではいかとの見方もある。
優れたリーダーは皆、“目利き”
さて、この稿で申し上げたいことは、忖度のすすめということではない。忖度される側の人たちが、人を見る目を養う必要があるという点だ。優れたリーダーは皆、“目利き”である。企業のなかでもたびたびお目に掛かる、“目利き人材”にはいくつかの共通した特徴がある。一つはもちろん観察眼である。ただ漫然と見るのではなく、特定の観察軸を持って見ているため、見えてくるものがあるのだ。また、一側面だけでなく、多面的に把握しようとする。一つのことをやらせてダメならばダメではなく、いろんなことをさせてみて、強みや弱みを把握し、強みを発揮させることで、貢献させようとする。勇猛果敢ではなくても、軍略に優れていたり、戦には弱くても政に秀でていたりもするのだ。
そして最も重要な点は、表面的なところではなく、その裏にある本質的な点を見ているという点ではないだろうか。信長は秀久の蛮行そのものではなく、その裏にある彼独自の信念や美学を見ていたのであろう。
部下が期待と違ったことをした時に、ただ叱ったり、外したりするのみでなく、なぜそうしたのかを考えてみる、聞いてみる、場合によっては自らの考えを再考してみる、ということが重要ではないだろうか。
(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)
※歴史的事実に関する記述内容は、諸説あるうちの一つであることをご了承ください