山口百恵、衝撃の婚約引退発表から40年…“昭和芸能界のゴールデンカップル”を振り返る
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、山口百恵の結婚と引退。三浦友和との出会いから結婚、引退までを振り返ります。
出会いは1974年5月、グリコのCM撮影現場
1980年3月7日、山口百恵が三浦友和との婚約と芸能界引退を発表しました。
2人が出会ったのは1974年5月。場所は、グリコ「プリッツ」のコマーシャル撮影のために訪れた東京世田谷区の砧公園でした。もともと百恵は、同商品のCM撮影を別の男性タレントとすでに終えていましたが、「ボーイフレンド、ガールフレンドに見えない」との理由から、お蔵入りに。かくして撮り直しが決まり、ボーイフレンド役として白羽の矢が立ったのが、当時無名の三浦友和。この時、百恵15歳、三浦が22歳でした。
『伊豆の踊子』『潮騒』『ホワイト・ラブ』など数々の映画で共演
2人は同年12月公開の映画『伊豆の踊子』でも共演。同作における百恵の相手役は、当時東京大学の学生だった新保克芳氏に決まりかけていました。ところが、演技経験に乏しく、名古屋訛りの激しかった新保氏の起用に監督の西河克己が難色を示したため、グリコのCMで好演していた三浦が再び抜擢されることになったのです。
ちなみに、数千人の公募を勝ち抜いた末に“不採用”となった新保氏は、後に弁護士として大成。2005年のライブドア事件の際には、ライブドア側の顧問弁護士として再びメディアに登場し脚光を浴びることになったのでした。
『伊豆の踊子』は1975年度の興行収入ランキング第3位に入るなど大ヒット。以降、百恵と三浦は、映画『潮騒』(1975年)、『春琴抄』(1976年)、テレビドラマ『赤いシリーズ』(TBS系)など、数々の作品で共演する芸能界のゴールデンカップルとして一時代を築きました。
衝撃的だった「恋人宣言」と「引退宣言」
1979年10月20日、百恵は大阪厚生年金ホールのステージで、三浦との交際を発表。さらに三浦も記者会見を開き、百恵と恋人関係にあることを認めます。そして翌1980年3月7日、当時21歳の百恵は三浦との婚約と共に「お仕事は全面的に引退させていただきます」と発表。人気絶頂期での引退は、世間に大きな衝撃を与えました。
これにより、世間は“百恵フィーバー”に。同年9月末から10月頭にかけて、北海道、福岡、大阪、名古屋、東京で全国縦断ファイナルコンサートが開催されています。そして、11月19日には霊南坂教会で挙式、東京プリンスホテルで披露宴が行われました。これをもって、山口百恵は7年半の芸能活動を終えて、表舞台から完全に姿を消したのでした。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)
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