窪田正孝さん、二階堂ふみさん出演の2020年度前期NHKテレビ小説『エール』のモデルとなっているのが、昭和を代表する作曲家の古関裕而氏である。
古関氏の戦後の活躍で特筆すべきはスポーツ音楽。とくに野球ファンにとって、現在も聴き馴染みのある曲が多いのだ。阪神タイガースの応援歌「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」、読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌」、甲子園の高校野球で必ず流れる『栄冠は君に輝く』、早稲田実業高校が甲子園に出場したときに流れる応援歌「紺碧の空」。これらも古関氏の作曲による楽曲だ、というと「すごい人」というのがわかるはず。
スポーツ音楽作曲家は意外にもスポーツが苦手だった
『【まんが】古関裕而ものがたり;名曲でふりかえる「昭和」とオリンピック』(内藤誠作、三代目仙之助画、彩流社刊)では、昭和をとおして国民に愛されるメロディーを作り続けた古関裕而をまんがで描く。
学生時代から独学で音楽を学び、作曲も手掛け、音楽の才能を発揮していた古関氏は、レコード会社コロムビアに入社。後に昭和を代表する曲を何曲も作曲する古関氏だが、ヒットを出すまでに苦難の日々を送ることになる。
昭和初期の時代は未曾有の不景気で、世の中の空気を少しでも上向きに、と明るい歌謡曲が流行っていた。会社から古関氏にも流行歌を作曲するように要求される(「流行歌をつくれ」とはすごい要求である)が、真面目でクラシックが好きだっため、流行歌の節に馴染めず、職業作曲家としてのスタートはつまずいてしまったのだそう。
昭和6年、出世作ともいえる早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲しているが、同年デビュー曲となる「福島行進曲」はヒットせず、その後もなかなかヒット曲に恵まれない時期が続く。
転機が訪れたのは昭和9年だった。水郷の潮来を訪れ、この取材旅行で生まれた「利根の舟唄」は、間奏に尺八を入れるなど豊かな発想が功を奏してヒット。翌年には「船唄可愛や」を発表すると、これが大ヒットし、ようやく売れっ子作曲家の道を進み始める。そして、ラジオドラマ、映画、演劇、ミュージカルと幅広く楽曲を作ることになる。
戦後、スポーツ音楽を多く手掛けたのは、古関氏本人がスポーツを苦手にしていたことが、それが「実技としてのスポーツはできないけれども、音楽の上でスポーツをやる」という意欲につながったからだ。そして、東京オリンピックの入場曲となる「オリンピック・マーチ」を作曲。後に、古関氏自身が作曲家人生で大好きな曲としてこの曲を挙げている。
現在、新型コロナウイルスの影響で朝ドラ『エール』は、放送休止中で第1回から再放送中。『エール』と合わせて本書も読んでみてはどうだろう。
(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。