球界における実績と私生活における波瀾万丈ぶりでは、唯一無二の存在の江夏豊。そんな江夏が自らの人生を述懐した書籍『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA)が話題だ。その江夏は、今、指導者として阪神のキャンプに参加。そこに帯同する同書を構成したノンフィクションライターの松永多佳倫氏が、レジェントの素顔を寄せてくれた。
●「若い子との接し方がわからない」とこぼす江夏
今年、球団創設80周年を迎える阪神タイガースの沖縄宜野座キャンプ第一クールでは、選手よりもある臨時コーチに注目が集まっていた。伝説の左腕・江夏豊が40年ぶりに阪神タイガースの現場に復帰したのだ。
実際にキャンプへ足を運ぶと、江夏がグラウンドにただ立っているだけで異様なオーラが充満し、ピリッとした空気に一変させる。さすが“伝説”と呼ばれているだけある。
なぜ、あれだけの大物が、これまで指導者として縦縞のユニフォームに袖を通さなかったのか? そんな疑問を持つ人も多いだろうが、その答えは、江夏自身と筆者による書籍『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』に記されている。
キャンプの第一クールで江夏は、訪問に来た盟友・衣笠祥雄に「今の若い子とどう接すればいいのかちょっとわからんなあ」とこぼしたらしい。これこそ江夏らしい発言だなあと思った。
江夏は、同書の構成を担当した筆者に対しても相当気を遣ってくれた。不躾な質問に対しても嫌な顔ひとつせずに対応してくれたし、野球以外についての質問が続いた時にはさすがに業を煮やしたのか、「そろそろ野球のことを聞いてもいいんやないか?」と促されたのに、「では、“男と女”というテーマで質問したいと思います」と、私はとぼけて切り返した。端から見たら、あまりにバカバカしい進め方にも怒らずに、丁寧に答えてくれた。
確かにかつては「なんじゃい!」と怒鳴られたことはよくあったが、最近は年のせいか、圧倒的な怒りを見せることもなくなった。しかし、だからといって威光や威厳が衰えたということはない。
こちらの体調がどんなによくても、江夏の前にいけば蛇に睨まれた蛙状態になってしまうのは以前と変わりない。
江夏が人と会ったときに放つ、あの地の底から響くような「おおおう!」という第一声で、魔法の言葉をかけられたように身も心も囚われたような気分になってしまう。江夏本人はいたって普通に接しているだけだと思うが、こちらとしては独特のオーラに当てられて必要以上に緊張し、警戒してしまうのだろう。
繊細な部分を併せ持つ江夏だからこそ、相手の行動にも逐一チェックが入る。逆に目配り、気配りさえしっかりできて筋さえと通せば、あれがダメこれがダメと姑のように言う訳でもない。時間は厳守する人だし、仕事モードに入ってしまえば、何があってもきちんと最後まで遂行する。
社会において、筋を通しているつもりでも、紹介者にはきちんと連絡するとか、お礼をするとか、そういった礼儀を欠いているケースは残念ながら多々ある。
40年ぶりの現場復帰ということで技術面での指導に光が当たっているが、そういった基本的な礼節をきちんと教えているのが江夏なのではないか。
江夏は荒々しい一匹狼だと思われがちだが、実はこちらが大きな勘違いをしているのかもしれない。
(文=松永多佳倫)