“神ってる”広島東洋カープのセ・リーグ優勝。二刀流で大活躍した大谷翔平選手に注目が集まった北海道日本ハムファイターズの日本一。今年の日本プロ野球の盛り上がりはまだまだ記憶に新しい。
だが、スポットライトを浴びている選手たちの裏では、今年も12球団で100人を超える選手が戦力外となった。その中から、どこかの球団からオファーが掛かるのは、ほんの一握りの選手だけ。多くの選手は引退し、新たな道へと進むことになる。
それはドラフト1位指名選手であっても同じだ。
『期待はずれのドラフト1位――逆境からのそれぞれのリベンジ』(元永知長著、岩波書店刊)は、プロ野球を引退し、新たな道に進む7人の元ドラフト1位選手たちのそれぞれの生き方をたどっていく一冊だ。
■メジャー経由でドラフト1位指名 しかし…
「松坂世代」と呼ばれた1980年生まれの選手たち。逸材揃いのこの年代は、プロ野球で活躍した選手も多く、福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手、読売ジャイアンツの村田修一選手は、36歳になった今も一軍で活躍している。
そんな中で異色のキャリアを積むことになったのが、多田野数人投手だ。八千代松陰高校から立教大学へ進学し、4年間で通算20勝をあげるも、ドラフトでの指名はなかった。
2002年、メジャーリーグを目指して渡米。クリープランド・インディアンスの入団テストに合格し、マイナー契約を結び、2年目にメジャー昇格。初勝利をあげるなど、14試合に登板するものの、その後はなかなかメジャーに上がれず、2007年秋のドラフト会議で1巡目指名を受けて、北海道日本ハムファイターズに入団。7年間で80試合に登板し、18勝20敗。防御率4.43。
思うような成績を残せず、204年に34歳で戦力外通告を受けると、現在は独立リーグの石川ミリオンスターズに入団することになる。
現在は投手として現役を続けながらも、プロ入りを目指す選手たちの指導を行っている。これまで日本の選手とは違う道を歩いてきた経験が、いま選手たちの指導に生きているという。
もちろん、もう一度、NPBでプレーしたいという気持ちもある。世界にはさまざまな野球があり、いろいろな選手がいて、考え方もそれぞれ。野球を通じて「答えはひとつではない」ということを知り、それが選手の指導にも役立っているという。戦力外通告を受け、プロ野球界を去る選手が多い中、多田野選手は独立リーグで今も野球を続け、NPB復帰を目指しているのだ。
■セカンドキャリアとしてビジネスマンを選択する
セカンドキャリアにIT企業のビジネスマンを選んだドラフト1位もいる。江尻慎太郎氏は仙台第二高校から早稲田大学に進学し、2001年、日本ハムファイターズに自由獲得枠で入団する。
入団からしばらくは、主に先発と中継ぎで活躍し、22勝14敗という成績を残した。2007年秋に右ひじのトミー・ジョン手術を受け、2009年からはセットアッパーに。横浜DeNAベイスターズ、福岡ソフトバンクホークスに移籍しても勝利に貢献し、2014年、13年間のプロ野球生活を終える。