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村上龍が直視する「夢という言葉が氾濫し、不安が蔓延する現実」

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※画像:『星に願いを、いつでも夢を』(ベストセラーズ刊)

 今でこそ「格差社会」という言葉が普通に使われて、「強者」と「弱者」、「勝者」と「敗者」がいることが周知されているが、20年ほど前まではマスメディアがこの言葉を使うことはほとんどなかった。

 当時はまだ「一億総中流」という言葉が説得力を持っていた時代。もちろん格差がなかったわけではなく、今の状況を生み出す兆候は表れていたが、そこに目を向ける人は極めて少なかったのだ。

■20年前から格差社会到来を予見していた作家

 作家・村上龍氏は、国内に存在する格差について、もっとも早くから指摘してきた人物の一人である。氏のエッセイには90年代から「格差」や、その格差を表す比喩としての「階級」というワードが見られた。

 当時の読者はきわめて刺激的で過激な印象を持っただろうし、ピンとこなかった人もいたはずだ。しかし、今の日本に定着した格差と貧困を考えると、やはり氏の慧眼はさすがである。

 村上氏が30年以上書き継いでいるエッセイシリーズ「すべての男は消耗品である。」は、刊行当時から、若い世代を挑発・鼓舞するようでありながら、ゆっくりと衰退していく日本でサバイバルしていくための重要な視座を提示してきた。

 前述の「格差」に言及してきたのも、主にこのシリーズだったが、最新作となる本書『星に願いを、いつでも夢を』(ベストセラーズ刊)では、この広がり続ける格差社会で、いかに生きていくか、を問い続けている。

■「七夕の短冊」に書くことがない社会とは

 タイトルにある「星に願いを、いつでも夢を」だけを見ると、いかにも前向きな内容のように思えるが、これは逆説だ。

 一般的に七夕飾りの短冊には「ポジティブな願いごと」を書くものだが、村上氏は、今、若者にとって「願いごと」自体が現実的ではなくなっているのではないかと指摘する。

 格差社会の下層にいる人にとって「フェラーリやポルシェに乗りたい」といった類の願いごとを短冊に書くのは難しい。今後自分がこうした車を買えるだけのお金を手にすること、つまり格差をひっくり返したり、上層に浮上することに現実感が持てないからだ。

 かといって、「キューバで有機農法を学べますように」というような、個人の目標に基づいた具体的な願いごとを持てる人は今も昔もごくごく一部に限られるし、ブラックな労働環境に苦しんでいる人が「あと2時間でいいので眠りたい」と思ったとしても、それは短冊に書くようなことではないだろう。

 七夕の短冊というのは、思えば時代の象徴だ。そこに書かれるはずの「願いごと」とは、すなわち「夢」であり、大部分の人にとって書くことがないなら、それは「夢を持てない社会」ということになるからだ。「夢を持てない社会」とは、いうまでもなく「今後よくなる見込みがない社会」である。

 「生きるだけで精いっぱいの人が、別の人生をイメージできるだろうか?」「夢が消えつつある時代、どうやって生きればいのだろうか?」という問いかけに、氏自身、「現実に向き合い、何とか騙されないで死なずに生き抜いてほしい」という答えしか出せないという。