2016年9月、京都大学発のベンチャー企業・GLM社が、1990年代に少量生産されたスポーツカー「トミーカイラZZ」を電気自動車(EV)として復活させ、パリ・モーターショーで発表して脚光を浴びた。
京都というと、ものづくりのイメージが薄いかもしれないが、任天堂、京セラ、ワコール、村田製作所などを生んだ、れっきとした「ものづくりの街」である。
■突然の大口失注で売上が激減 危機を脱するために講じた一手
そんな京都において、今年創業50年を迎えた企業がある。プリント配線板や外観検査機器の設計・製造などを手がける、シライ電子工業だ。
しかし、50年間続いたからといって、常に順調だったわけではない。同社は大きな経営危機を乗り越えている。
「基板の穴あけ仕事」からスタートし、その後、1980年代に巻き起こった携帯型および家庭用ゲーム機ブームの波に乗って急成長を遂げたシライ電子工業だが、その要因は国内のゲーム市場を牽引していたA社からの受注を一手に引き受けることができたことだった。
しかし、当時の年商180億円のうち、半分はA社からの売り上げという、一つの取引先に依存した形での急成長は、1994年、A社が家庭用ゲーム機の発売を突然中止したことで暗転してしまう。
売り上げは激減し、その後も2期連続で赤字に。さらに追い討ちをかけるように、当時持ち上がっていた香港の基板メーカーとの合弁話も暗礁に乗り上げ、目指していた店頭公開を白紙に戻さざるを得ない状況となる。
何もかもがうまくいかない、そんな危機的状況を抜け出すために同社が取り組んだのが、1日本国内の体制を立て直す 2仕切り直して新たな海外進出に取り組むという社内改革だった。
■「従業員の目視検査の負担を減らしたい」と開発した検査機が主力商品に
この社内改革が、同社再建に結びつくことになった。
契機となったのが、1998年にトップが「従業員の目視検査の負担を減らしたい」との思いからスタートさせた、「VISPER」という検査機の開発だった。
同社が製造するプリント配線板の上には、回路パターンを保護するための絶縁膜をのせる必要がある。そして、絶縁膜ののせ方が少しでもずれていると、その配線板を搭載した電子回路は正常に動かなくなってしまう。
そうした不良品を出すことを防ぐため、プリント配線板をつくる過程では、「外観検査」というものが行なわれる。しかし当時、この検査はすべて従業員の目視によって行なわれていた。
この検査、製品1個あたりにかけられる時間は1~2秒と短いが、月産量が当時すでに100万個にものぼっていたため、トータルの検査時間は長かった。長時間にわたって極度の緊張を強いられる目視検査は、従業員にとってかなりの負担だったのだ。
自動検査機を開発すれば、「検査者は特定の部分さえチェックすればよい」という状態ができ、従業員の負担は減る。その思惑通り、VISPERを開発し現場に導入したことで、職場環境は劇的に改善されたが、VISPERは思いがけない副産物を生み出すことになった。
職場環境の改善を見た社員から、VISPERを外販すべきという声が上がり、売り出すとこれがヒット。全世界の基板メーカーの売上高上位100社のうち約60%の企業が導入するほどの主力商品となったのだ。