■一人の“救世主”でチームは変わる
困窮に立たされた会社をどうにかしたい。組織の中で何かを変えたい――。
会社やチームの大小にかかわらず、そんな思いを抱えている人は多いだろう。
どんな組織や業界にも逆境を覆す“救世主”は現れるものだ。
USJをV字回復させた森岡毅氏。青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた原晋氏――。彼らは組織に改革を起こして奇跡の復活の立役者になった。
新日本プロレスの棚橋弘至選手も、低迷した新日本プロレス、ひいてはプロレス業界全体を復活させた救世主と言えよう。
棚橋選手といえば、端正な顔立ちに均整の取れたボディ、さらに試合を盛り上げる力もあわせ持ち、男女ともに支持される新日本プロレスの「エース」だ。
だが、彼は長い間、厳しいに境遇に立たされていた。彼が新日本プロレスに入門した当時、プロレスは総合格闘技ブームに押され、低迷の兆しを見せていた。その後、プロレスは凋落の一途を辿っていったのである。
そんな逆境のなか、棚橋選手はプロレスを再び陽の当たるステージにするために孤軍奮闘してきた。プロレス復活の影で、彼が地道に取り組んだことの功績は大きい。
2014年に出版され、2015年12月には文庫化、そして今年1月にはオーディオブック版がリリースされた『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(棚橋弘至著、飛鳥新社刊)は、そんな彼の足跡から、どのように新日本プロレスを変えていったかを知ることができる。
会社を自分の力で何とかを変えたいと思いながら、「一人でできることには限界がある」「自分一人が動いても何も変えられない」と嘆く人は多い。
しかし、たったの一人も動かないままでは組織やチームが変わることはあり得ない。本書は、棚橋選手の歩んだ足跡から、組織やチームを変え、復活させるヒントが得られるはずだ。
■まずは自分を売り込み、「味方」をつくる
棚橋選手は低迷した新日本プロレスを変えるために、さまざまなことにチャレンジしていった。特に力を入れたのが「プロモーション」だ。
一度人気が低迷した業界を復活させるために、個人ができることは限られる。特に若い世代のお客さんを取り込む苦労は相当なものだった。なぜなら、若い世代にとって、プロレスは「怖そう」「面白さがわからない」というイメージが強かったからだ。
そこで彼がとった戦略は「プロレス」ではなく「棚橋弘至」個人を売り込むことだった。ファンやプロモーター、メディアに積極的に働きかけて自分の名前を知ってもらうことから始めたのである。
声がかかればTVのクイズ番組にも出演し、地方興行では地元のラジオにも出る。ブログや雑誌のコラムなども書き、できることは何でもやった。
そうやって「なんだかわからないけれど、面白いヤツがいる」と知ってもらうことで、プロレスに興味を持ってもらう入り口をつくる草の根活動を続けたのだ。
やがて、たった一人のプロモーション活動に、現場スタッフや同僚レスラーも参加してくれるようになり、新日本プロレスは少しずつ変わり始めた。
これはビジネスパーソンにも応用できる考え方だ。会社の看板ではなく自分に興味を持ってもらえれば、社内にも社外にも自分を支えてくれる味方が増える。一人では変えられない物事も、味方が増えれば逆境を変えうる力になるだろう。