大手広告会社、電通は2016年12月9日、従業員の行動規範とされてきた「鬼十則」の社員向け手帳への掲載をやめると発表した。
16年11月、労働基準法違反の疑いで厚生労働省の強制捜査を受けた。過去にも過労自殺があったが、その後もたびたび長時間労働で労働基準監督署から是正勧告を受けていた。16年9月には、15年12月に過労が原因で自殺した新入社員、高橋まつりさん(当時24歳)が労災認定を受けている。
電通は労働環境改善策の一環として、過重労働につながっているとの指摘を受けていた鬼十則の社員手帳への掲載を取りやめることにした。
高橋まつりさんの過労死自殺事件の裁判で、遺族側の代理人を務めた川人博弁護士は16年11月29日、日本記者クラブで「過労死をなくし、健康的な職場を」と題して講演した。
高橋さんが死に至った原因について、次のように述べた。
「固有の問題は、電通の4代目、吉田秀雄社長が1951年に作成した電通マンの行動規範を定めた『鬼十則』に端的に示されている。『鬼十則』は社員手帳の中に印刷され労務管理に活用されてきたが、一番問題だと思うのは『鬼十則』5項目にある『取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…』というもので、働くものの健康より業務達成を優先する思想、職場風土がある」
長時間労働、過労死の元凶とされる鬼十則を、生い立ちにさかのぼって検証してみよう。
鬼十則は民放ラジオの広告争奪戦への決意表明
吉田秀雄氏は戦後すぐの1947年6月、43歳の若さで社長に就任した。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による公職追放で上田碩三社長が辞任したからだ。
『われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯』(舟越健之輔/ポプラ社)によると、鬼十則を発表したのは1951年8月。その前月の7月、東京・銀座の本社6階ホールで、日本電報通信社(現電通)の創立51周年式典が挙行され、本社の社員・幹部約200人を前に吉田社長は挨拶した。
「創業の功労者である光永八火先生(創業者の光永星郎氏の雅号)は、まことに電通の鬼であった。八火先生の眼中には電通以外なにものもなかった。いくどか倒産の危機に瀕しながら、電通の鬼となることによって、その困難を乗り越え、今日の基礎をお作りになった」