安倍政権が今国会で成立を目指す共謀罪法案(組織的犯罪処罰法改正案)について、政府は「テロ対策」の名目で押し切ろうとしているが、「表現の自由の侵害」や「恣意的な運用」への危惧は後を絶たず、またそれに対しての十分な説明もなされているとはいいがたい。
よくいわれているように、取り締まり対象となる「組織的犯罪集団」とは何なのかが法案では曖昧だ。仮にそれが定義されたとしても、どうやって組織的犯罪集団を組織的犯罪集団と確かめるのかという問題がある。野党側の指摘にあるように、組織的犯罪集団に当たるかどうかを判断するためには捜査が必要だ。
たとえ組織的犯罪集団のメンバーではなくても、それを確かめるために市井の人間が当局にマークされるということが理屈上可能になるのでは、と考えるのは当然だろう。ましてこの法案では、「準備行為」までも取り締まりの対象なのだ。
その先に待ち受ける「一億総監視下社会」を嫌でも想像せざるをえない。
■共謀罪成立で監視捜査は合法化するか
現段階で「一億総監視下社会」への危惧を唱えるのはヒステリックすぎるのだろうか?
『スノーデン 日本への警告』(集英社刊)では、「共謀罪が成立すれば、共謀の事実を立証するための重要な捜査手法として、近い将来にSNSや電子メールの内容を傍受する監視捜査の合法化が求められるでしょう」と、この法案成立後の法整備の動きに対して警鐘を鳴らしている。
本書では、元NSA(アメリカ国家安全保障局)の職員で、同組織が極秘に運営していた、違法性の高い通信監視プログラムPRISMの存在を告発したエドワード・スノーデン氏が、アメリカの監視活動の実態や、そのアメリカの状態に日本が近づきつつある点、そして国家が個人を監視することの真の問題点を語る。
■エドワード・スノーデンが語るプライバシーの真の意味
先述の警鐘とも受け取れる言葉自体はスノーデン氏によるものではない。しかし、氏が日本に抱いている印象は深刻なものだ。
共謀罪が国家による国民の監視を可能にし、国民のプライバシーを制限しうる点は、プライバシー権に関する国連特別報告者のジョゼフ・ケナタッチ氏が日本政府への書簡であらわした懸念でもあり、記憶に新しい。
政府や当局に監視されたとしても「自分からは何も出てこないよ」と考える人は多いのではないか。大多数の人は、自分が犯罪を起こすとは思っていないし、今の自分の生活が法を犯しているとは考えもしないからだ。
しかし、国家による国民の監視とはそういうものではないとスノーデン氏は言う。
――今現在のあなたにとって、プライバシーはそれほど大切ではないかもしれません。しかし、少し想像してみて下さい。プライバシーがなくなれば、あなたはあなた自身ではなくなるのです。社会のものになってしまうのです。(P68より引用)
自分は日本人だと自覚している人でも、「あなたは日本という国家の所有物だ」と言われたら抵抗を感じるだろう。
しかし、国家が個人のプライバシーにどのような形であれ立ち入るということは、国家が個人のあり方に干渉するということだ。それを許した時、国民は国家に所有されるだろう。決して「自分にやましいことはない」で済ませていい問題ではないのだ。
プライバシーは力であり、他人に害を与えない限り自分らしく生きることのできる権利だとスノーデン氏は語る。アメリカでは、スノーデン氏の告発により、政府によるプライバシー侵害の事実が明らかになり、プライバシーと国家安全保障のバランスをいかに取るべきかという議論が始まった。
政府のいう「テロ対策」という大義名分を信じるのであれば、この議論がないまま、法案の成立だけが急がれているのが今の日本である。
本書で明かされているスノーデン氏の警鐘の言葉は、日本が大きなターニングポイントにある今、耳を傾けて損はないはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。