開業医といえば、花形の仕事だ。年収は高く、安定しているというイメージを持っている人も少なくないだろう。
しかし、開業医は経営者でもあることを忘れてはならない。特に医療法人化し、複数の医療施設を開設するとなると、経営者としての経営手腕も問われてくるだろう。 では、その実情とは一体どんなものなのか。
『ドクター・プレジデント』(幻冬舎刊)は医療法人社団明生会理事長の著者・田畑陽一郎氏が、これまでの半生を振り返りながら、どのように自分が医療法人を経営し、事業を拡大してきたかを赤裸々に明かした一冊だ。
わずか一代で7つの医療施設、4つの介護施設を開設し、包括的なネットワークを築き上げた田畑氏の独白から、彼の経営術を垣間見ることができる部分をピックアップしよう。
■開業医から「経営者」になるのはいつか?
1945年に生まれ、海外留学、大学病院の勤務を経て、1991年に千葉県東金市に人工透析を専門に行うクリニックを開業。その後、千葉県の様々な場所に医療施設を開設してきた田畑氏だが、実は開業当初より「チェーン店化」を考えていたという。
人工透析はいわば永続的な治療だ。そのため患者からすれば治療に通うことも大きな負担になる。クリニックが増え、病床が増えれば、より治療を受けやすくなり、一人でも多くの人を救うことができる。
田畑氏は2年目に2つ目の施設を立ち上げ、それに伴い医療法人化を行った。個人開業の医院が施設を増やすためには法人化をした方が、メリットが大きいためだ。
こうして次々に新たなクリニックを開業していくわけだが、ここでぶつかるのが経営者としての課題だ。
自分の下に集まる総勢100人以上の職員の生活を、田畑氏は背負っている。赤字倒産などはできない。組織の安定が必要だ。それまで、医師としての勉強はしてきたが、経営の勉強はしてこなかった。
そこで、田畑氏は経営セミナーに通ったり、経営者たちの書籍を読み漁り、経営者とは一体どういうものかを身につけたという。こうした不断の努力を経て、開業医から経営者へと変わっていったのである。
■「赤字なし」で経営を実現するために行った決断とは?
田畑氏がこれまで明生会の事業を拡大できてきたのは、彼の経営手腕によるものだ。しかし、常に順調な道を歩んできたわけではない。
開業当初は億単位の借金を抱え、返済に追われている状態が続いていた。それでも無茶をして次々と開業していき、借金を増やしながら収益も拡大させ、返済後には黒字になっていた。
しかし、それからしばらくしての17、18期に一度赤字に転じたことがあったという。
それは富里市に開業したクリニックの経費負担増が原因だった。ここは施設拡大計画の一環として設立された施設で、人工透析施設のほか、病状が重い患者さんのための入院施設も完備していた。入院施設を完備するということは、24時間体制で医師と看護師を置き、さらに入院食を提供するための調理担当や栄養士も必要となる。経費が膨れ上がるのだ。
ところが、この富里には思ったほど入院患者が入らず、経費が経営を圧迫するようになる。そして、田畑氏は苦渋の決断を下す。病棟の閉鎖だ。入院が必要な患者さんには他の施設に移ってもらい、職員たちの一部は辞めてもらうことになった。初めてのリストラである。
経営者として「この時だけはやむを得ずの判断で、今も忘れられません」と振り返る。結果的に赤字を抜け出し黒字に戻るわけだが、田畑氏は「経営者としての一つステップアップできた時期だった」とつづっている。
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本書はどのように明生会の事業を拡大してきたかをつづっていると同時に、開業医として、そして経営者としての田畑氏の想いがつづられている。
これからさらに高齢化が進み、介護施設の需要も増えてくるだろう。その中で、医療・介護に包括的に取り組んできた田畑氏の経営術は注目を浴びてくるはず。氏はエピローグでこう述べている。
医師は頭でっかちになりがちで、医療経営のことなどあまり考えたこともない人が多いのです。腕がいいから、知識が豊富だから、といっても、開業したときに患者さんに来てもらえなければ、事業を続けることはできません。
開業した以上、自分は経営者であり、商店街のお店と同じだということを意識しなければなりません。(p.207-208より引用)
開業医として自分のクリニックを経営している人はもちろんのこと、医療業界ではない人もどのように事業を拡大していけばいいのか、参考になる一冊だ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。