『忍者ハットリくん』『忍たま乱太郎』『NARUTO-ナルト-』など、漫画やテレビアニメの影響もあり、今でも忍者は人気だ。さらに、『NARUTO-ナルト-』は海外でも人気を博し、忍者ブームは世界に広まった。
もともと、実在の忍者は「忍びの者」と呼ばれ、それが「忍者」になり、世界に広まり「Ninja」となった。忍びの者が最も活躍した戦国時代における彼らはどんな人物でどんな活動をしていたのか。
『戦国の忍び』(KADOKAWA刊)は、武田氏・真田氏の第一人者である平山優氏が、史料に残されていた忍びにまつわる記述を丹念に読み解くことで、その実態を明らかにする一冊だ。
■忍びの者たちは「非正規雇用者」? 大名から提示された条件とは
忍びの者たちは一体どんな立場だったのか。本書によれば、現在の雇用形態でいえば、忍びの者は非正規雇用だったようだ。
諜報、索敵、待ち伏せ、暗殺といった任務が多様性し、呼称も多様性があった。さらに人数と希望が膨張し、出身地、階層、職種も多様化。それゆえにアウトロー出身の者も多かったという。これらが戦国の忍びの特徴といえる。
そして、彼らは戦に勝つ目的で大名に雇用された人々だった。知行地を拝領し、武士の身分として活動する者は、忍び出身の足軽大将くらいで、あとは、当座の扶持(ふち)をもらう「非正規雇用」の人々だったのだ。
では、戦国大名が忍びを募集するとき、どんな条件を提示していたのだろうか。
本書には次のようなことがあげられている。
1.当座の扶持(契約金、支度金)の一時支給
2.足軽対象や寄親(指揮官)の下に配属されたことを契機に支給される同心給からの配分
3.盗人などの罪人は、罪一等を減じること
など、こういったことが提示され、大名のもとに編成されると、味方の地では、諜報、盗み、放火、略奪などは厳禁とされ、敵地で奨励された。
一方で、敵の待ち伏せや城砦、敵陣への潜入、放火、乗っ取りといった、忍者のイメージが強い活動は、実は命懸けの任務だったそうだ。そのため、忍びたちの死傷率は、極めて高かったと推定されると著者は述べている。
忍びの活動とは、いったいどんなことが行われていたのか。史料から解き明かされる忍びの実態を本書から読み解いてみてはどうだろう。
(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。