「宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制も廃止」で生徒の学力をアップさせるという、千代田区立麹町中学校の教育改革が話題になっている。2014年に就任した工藤勇一校長は「生徒の自律・主体性」を掲げ、自由な校風を全面に押し出している。そんな同校の教育ノウハウを取り入れようと見学に訪れる教育関係者は後を絶たず、教育界のみならず経済界からの注目も高まっているという。
また、すでに校則を全廃していた世田谷区立桜丘中学校も19年度から定期テストを全廃するなど、革新的な教育体制が広まりつつあるように見える。そんな流れに対して懐疑的な見方を示すのは、教育コンサルタントの中土井鉄信氏だ。
「麹町中は、戦後約20年も東大合格者数トップを誇った都立日比谷高校への合格者を多く輩出してきました。また、千代田区民の平均年収は東京23区内では港区民に次いで2位と、教育に多くのコストを割ける家庭も多い。つまり、そもそも麹町中は学歴格差と経済格差の勝ち組が集まる学校なので、生徒に自由にやらせてもうまくいくに決まっているんです。そのため、同校の教育方針がどの学校でも万能に効果を発揮するという思い込みは危険です」(中土井氏)
定期テストも固定担任制も廃止の弊害
麹町中では、定期テストを廃止する代わりに単元ごとの確認テストを実施している。そのためテストの回数自体は増えることになるが、学校生活において高頻度でテストを強いられるようになると、どんなことが起こるのか。
「勉強が苦手な子は宿題が出なければ自主学習をしないので、日常的にテストに追われればモチベーションが下がり、逆に勉強から気持ちを遠ざけてしまいます。そうすると、学習能力のある子とそうでない子の格差はますます開き、学力の二極化が進んでいく。一見自由なように見えますが、日々の学習態度を常にテストで監視しているので、どちらかといえば管理型の教育方法なんです」(同)
単元テストの点数が芳しくない場合は再テストを受けることも可能で、2回目で良い点数を取ればそちらが成績に反映され、1回目の点数は帳消しになる。定期テストを廃止した理由には一夜漬け学習の癖をなくすという意図もあるようだが、これについても「全然共感できない」と中土井氏は一蹴する。
「一夜漬けでいいじゃないか、と思いますね。目の前に課題があって明日までにやらなきゃいけないんだったら切羽詰まってやるべきだし、できなかったら改めればいい。生徒に見せかけの自由を与えておきながら実際は監視下に置いて、失敗の機会を奪わないでほしいです。不自由を経験するからこそ自由を渇望するわけだし、自由な発想や創造性も生まれるもの。子どもの『生きる力』を底上げしたいのであれば、制限や不自由こそ与えるべきです」(同)
また、麹町中では固定担任制の代わりに学年教員が全員で学年の全生徒を見ており、面談時には生徒が好きな教員を逆指名することも可能だ。このような体制も、一見自由度が高いように見えて、生徒と教員の双方にとって足枷となる可能性をはらむという。
「『全員が担任』といえば聞こえは良いですが、『全員担任ではない』と同義なので、一部の子どもは誰に相談すればいいのかわからない、という状況に陥るでしょう。また、教員の人気や忙しさに差が生じれば、当然そこには経済主義の競争原理が働き、給料格差とともに教師間の分断を生みかねません」(同)
安倍政権の教育改革で学力の二極化が進む
また、中土井氏は「現代の教育を語る際には、日本の学校教育制度の歴史を理解すべき」と主張する。振り返ってみると、教育と政治の切っても切り離せない関係性が浮かび上がってくる。
「明治時代の『学制発布』は軍隊の言語統一のためのものでした。また、高度経済成長期は『現代化カリキュラム』によって、義務教育の勉強量が圧倒的に多い時代でした。そして、日本経済が右肩上がりになると、今度は貿易摩擦を恐れて『国力を下げろ』とのお達しがあり、1999年以降のゆとり教育へとつながり、自己責任の名のもとに経済格差が広がっていくわけです」(同)
「子どもファースト」とはいいがたい経緯だが、では今、国策としての教育はどこに向かっているのだろうか。
「学力を二極化させることでエリート群をさらに際立たせ、アメリカ型の圧倒的リーダーシップ制度を推し進めています。現に政府中枢を見ても、安倍政権で行われているいろいろな忖度や議事録の書き換えなどは罪に問われておらず、まさに『安倍一強』ですよね。麹町中の教育改革は、こうした動きの一番目立つ旗頭として利用されていると思ったほうがいいでしょう」(同)
どうやら、強い者がより強くなるという方向に日本は向かっているようだ。中土井氏は「子どもの置かれた状況によっていろいろな政策があってしかるべき」と釘を刺す。ただでさえ「一極集中」が指摘される首都・東京のど真ん中のエリート校の教育を、文化背景も土地柄もまったく異なる場所で模倣したらどうなるか……。後の祭りとならないことを願いたい。
(文=松嶋千春/清談社)