何かを本気で始めるとき、「覚悟」というものが必要だ。もしそれがないならば、迷いに迷って、最初の一歩を躊躇してしまうだろう。しかし、覚悟を決めるというのは簡単なようでいて難しい。どんな心持ちでいれば、覚悟を決めることができるのだろう。それが分かれば、後悔しない生き方はしないはず。
ここで参考にしたいのが、幕末の思想家であり、教育者の吉田松陰である。
『覚悟の磨き方』(池田貴将著、サンクチュアリ出版刊)では、「心」「士」「志」「知」「友」「死」の6つのテーマから吉田松陰の知恵と想いを紹介した一冊だ。
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吉田松陰とはどんな人物だったのか。
1830年、長州(現・山口県)の藩士・杉百合之助の次男として生まれたが、子どもの頃からしきたりを破り、行動をもって自分の信念を貫くことをよしとする性格だった。
松陰23歳の1853年、日本に大きな転機が訪れる。浦賀にペリーが黒船を連れてやってきたのだ。兵法の専門家だった松陰は、「これは勝てない」と悟り、外国のやり方を学んだ方がいいと考える。
翌年、再び黒船がやってくると、小舟で黒船の甲板に乗り込む。密航しようと企んだのだ。しかし、これは拒否され、自首。牢獄される。
江戸から長州藩に送られ、仮釈放になると、小さな村で塾をはじめる。これがかの有名な「松下村塾」だ。
「いかに生きるかという志さえ立てることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じ、弟子ではなく、友人として扱い、「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」と話したという。
そんな松陰の姿勢から松下村塾は多くのエリートを輩出する。
松陰が教えたのはわずか2年半だったが、高杉晋作、伊藤博文(初代総理)、品川弥二郎(内務大臣)、山縣有朋(第3代、第9第総理)、山田顕義(國學院大學と日本大学の創設者)といった顔が並ぶ。
その後、松陰は、幕府のやり方に憤慨し、老中の暗殺を企てて、再び牢獄。安政の大獄により斬首刑となった。このとき30歳。松下村塾の出身者たちも中心となり、明治維新が成し遂げられたのは、松陰の死から9年後のことである。
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では、松陰はどんな考えをもっていたのだろうか。本書から解き明かしていこう。
彼は行動につながらない学問は無意味だと考えていたという。大切なのは不安をなくすことではなく、いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか。そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を休むことなく生み続けることであると考えていた。
とはいえ、先のことを考えると、不安にかられるものだ。どうすればいいのか。
不安に心が奪われないようにするためには、あれこれ目移りすることなく、自分という人間を鍛えることに集中し、「全力を出し切りますので、あとは天命におまかせします」という心構えでいるのが良いと著者は解説する。
まだやったことがないことを「怖い」「面倒くさい」「不安だ」と思う感情は、過去の偏った経験が作り出す錯覚だろう。
できないのではなく、ただやっていないだけ。実際にやってみれば、意外とうまくいくことの方が多いのは、多くの人が体験したことがあるのではないだろうか。