ジャニーズ事務所“谷間のエース”忍者の受けたバッシングとメンバーの現在
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか?
1970~90年代の「懐かしい」を集めたメディア「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
さて、今回振り返るテーマは、かつて存在したジャニーズのアイドルグループ「忍者」について。
彼らを覚えている人は、いったいどれくらいいるのでしょうか。1987年デビューの「光GENJI」と、91年デビューの「SMAP」に挟まれた“谷間のエース”だったため、イマイチ影が薄かった彼らですが、その軌跡と近況を今回、紹介していきたいと思います。
1990年にデビューした忍者
忍者のデビューは90年ですが、原型となる10人組「シゲダン」(ソロアイドル・中村繁之のバックダンサーグループ)は85年に誕生しました。ほどなくして、ユニット名が「少年忍者」に改められ、その後4名が脱退。さらに、メンバーの中村亘利が、萩本欽一プロデュースの別ユニット「CHA-CHA」における活動の多忙を理由に脱退すると、代わりに古川栄司が加入。それを機にユニット名が忍者となり、CDデビューする運びとなったのでした。その時のメンバーは以下の通り。
・柳沢超(リーダー)
・遠藤直人
・志賀泰伸
・高木延秀
・古川栄司
・正木慎也
なお、このユニット名は、当時アメリカで忍者の格好をしたカメが活躍する映画『ミュータント・タートルズ(原題:Teenage Mutant Ninja Turtles)』(東宝東和)がはやっていたことから、「世界にも通用するネーミングを」との想いで名付けられたのだとか。
デビュー曲「お祭り忍者」で、主要新人賞を総なめ!
かくして、結成から苦節5年にしてデビューが決まった忍者。ファーストシングルとして、美空ひばりさんが歌った『お祭りマンボ』のリメイク曲である『お祭り忍者』をリリースし、ヒットチャートで堂々の1位を獲得。さらに、その年の日本レコード大賞・最優秀新人賞をはじめ主要な新人賞を総なめにし、当時の史上最年少記録となる、デビューから4カ月での『NHK紅白歌合戦』初出場という快挙も成し遂げました。一点の曇りもない、パーフェクトな滑り出しではないでしょうか。
しかし、ここでひとつ問題がありました。デビュー曲の『お祭り忍者』のリリース時期は、美空ひばりさんの一周忌をちょうど過ぎた頃。日本歌謡界の女王の死をしみじみと悼みたい人からしたら、「ソ~レ ソレ ソレ お祭りだ~♪」と陽気に囃し立てるこの曲は、不謹慎と捉えられても仕方ありません。ということで、ひばりファンからは相当なバッシングにあったそうです。
その後も懲りずに、美空ひばりさんの『リンゴ追分』をリメイクした『リンゴ白書』、藤子・F・不二雄アニメ『21エモン』(テレビ朝日系)の主題歌にもなった、これまた美空ひばりさんの『車屋さん』インスパイア曲の『おーい!車屋さん』と、デビュー曲から“お嬢リスペクト”な温故知新ソングを3曲立て続けに発表していきます。
ところが、ヒットチャートにおける順位は下降線の一途。その後、4thシングル『秘・美・子』、5thシングル『君に御中(WANT YOU)』とオリジナル路線に転向するも、やはり売れず、グループに暗雲が立ち込めます。
メンバー2名の解雇で窮地に……
そこに追い打ちをかけたのが、94年に起こったメンバー2人の解雇騒動です。志賀泰伸はデビュー前から結婚していたことが発覚したため、また古川栄司は当時太っていたのを「痩せるように」と指示されたのに無視したため、契約を解除されてしまったのです。
こうして4人体制となった忍者の“残党”たちは、心機一転「四銃士」とユニット名を変更します。そしてバレーボールの中継番組『1994FIVBワールドトップ4バレー』(テレビ朝日)のイメージソング「DO YOUR BEST」を発売するも、オリコンの順位は50位圏外。これではまずいと思ったのか、再び「忍者」名義に戻して活動しましたが、もはやデビュー当時の勢いは取り戻せず。結局、97年11月のライブ出演を最後に忍者は、SMAPフィーバーで沸く世間を尻目に、ひっそりと自然消滅したのでした。
ジャニーズ役員になった者、ホストになった者……人生いろいろな元忍者のその後
では、現在50歳近くなった元忍者メンバーは何をしているのでしょうか?
まずリーダーの柳沢超。彼は2000年に吉本興業へ所属後、3つの事務所を経て、現在はT’sナインハーフというプロダクションに所属。ドラマ・ミュージカル・声優など幅広く芸能活動を続けています。
正木慎也は、2000年にジャニーズ事務所退所後、タレント活動のかたわら、夏場に江の島でジュース販売のバイトをしたり、自作のオリジナルアクセサリーの販売をしたり、「ドライブデート(略称:DD)」と称してファン4人を車に乗せ30分ごとに助手席に座るファンを交代させながら2時間ドライブするという自主イベントを開催したりと、バイタリティの塊のような活動を展開。現在も音楽配信やゲストライブ出演、ファンイベントなどに精力的に取り組んでいるそうです。
高木延秀は、会員制スナックの店長を務めた後、ジャニーズに戻って「ジャニーズJr.」担当のチーフマネジャーとして活躍。その後は再びジャニーズを退所し、都内の一般企業に就職し、06年には結婚もしたといいます。
唯一、今もジャニーズと関わりを持っているのが、遠藤直人です。ジャニーズ事務所の関連企業、ヤングコミュニケーションに入社して役員となり、ジャニーズ事務所のミュージカル『PLAYZONE』や、「TOKIO」「V6」「嵐」、今井翼などのコンサートのプロデュースを行っています。
古川栄司は、03年に歌舞伎町でホストに転身後、05年には杉並区近辺の居酒屋でアルバイト勤務。その後の消息は不明です。同じく解雇された志賀泰伸は、結婚していた年上女性と離婚後、Vシネマや舞台、バンドなどで活動。今は医療関係の仕事に従事しているとウワサされています。
いかがでしたか? この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)